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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㉒ 『虹が消えぬまに』

「やまない雨はない。そして、冷めないコーヒーはない」というのが僕の大まかな人生観だ。 

 近頃ずっと降り続ける雨を眺め、珈琲を飲みながら、自分が人生をそんな風にとらえていることを僕は思い出した。 

 向かいの席に座った彼女もまた、頬杖をつき、それがまるで天から送られてくる重大なモールス信号であるかのように、アスファルトを打ちつける雨を眺めていた。 

 僕らは喫茶店にいた。 

「映画、何時からだっけ?」と彼女は外を見つめたまま僕に聞いた。 

「二時。まだ一時間近くある」 

 彼女は大きくため息をついた。 

「ごめん、やっぱりわたし、今日は映画って気分じゃないや」 

「え?」 

 テーブルの上に置いたスマートフォンだとか、彼女は荷物を鞄につめこみ始めた。 

「だってもう、チケット買っちゃったよ?」 

「だから、ごめん。お金は返すから」 

 そう言って彼女はテーブルの上に二千円を置いた。 

「いらないよ」 

「じゃあここのコーヒー代にして」彼女は立ち上がった。 

「ちょっと待ってよ」 

「あなたのせいじゃないの、分かるでしょ? 自分でもどうにもならないの。きっとホルモンのせい」 

「大体、君が見に行きたいと言いだした映画じゃないか、そのために僕はわざわざ休みを取ったんだぜ」、と、もちろん、僕は実際にそんなことは言わなかった。こういうときは、いや、こういうとき以外もいつだって、女性を言葉で言い負かそうとしてはならない、ということを僕は経験上、よく理解していた。 

 ただ黙って静かにやり過ごすのが、男にとっての最善策だ。これも僕の人生哲学の一つだ。 

 くるりと背を向けて、彼女は店を出て行った。

 一人残された僕は、また雨を眺めた。彼女の機嫌はまるで天候に左右されてるみたいだ。気圧のせいだろうか? 日照時間に関係があるのか、あるいは月の満ち欠けの影響か。こんなに降り続くのであれば、いっそのこといつまでも止まずに、なにもかも流し去ればいい。 

 他にやることのない僕は、結局時間通りに映画館へ行き、映画を見た。ポップコーンだって食べた。 

 映画はひどくつまらなかった。昨日地球にやって来たばかりで、地球の文化を何一つ知らない宇宙人が見たって、それが退屈な映画だと分かるくらい、つまらない代物だった。 

 映画が終わると四時で、外は嘘みたいに晴れていて、久しぶりに顔をあらわした太陽が、街をゆるやかにオレンジ色に染め始める頃だった。 

 ポケットからスマートフォンを取り出し、電源を入れると、彼女からのメッセージが届いていた。 

 それはただ一枚の画像で、彼女の家のそば、多摩川の河川敷から撮った写真だった。やれやれ、ここに来いってことだろうか、僕は空を見上げた。東の空にはくっきりと、虹が浮かんでいた。 

 僕は、この虹が消えぬまに、彼女に会いに行かなくては、と思った。 


 河川敷の屋根付きベンチの上に彼女は座っていた。僕は黙って隣に座る。彼女は僕を一瞥し視線をまた前に向けたあと、その頭を僕の肩に乗せた。 

「あの虹を見ていたらね、あなたに会いたくなったの」と彼女は言った。 

 虹はまだ、そのアーチを残したままだった。

「あなたって、よくわたしみたいな人と一緒にいられるね」 

「え、どういうこと?」 

「だって、わたし、自分が男だったら、絶対こんな女と付き合わないもん」 

「たで食う虫も好き好きってね」 

「はあ?」 

「いや、なんでもない」 

「わたしが男だったらさ、聞き分けがよくって、いつもにこにこしてて、長い巻き毛で、胸が大っきくて、ピンクの花柄のワンピースがよく似合って、ちょっぴり寂しがり屋で、「だいすき〜」ってぎゅっと抱きついてくるような、そんな女の子を選ぶな」 

「そんな子いないよ」 

 僕たちは笑った。 

 たしかに、どうして僕は、彼女と一緒にいるんだろう。彼女のどこに惹かれているんだろう。それが僕には分からなかった。 

 いや、分からないのではなく、言葉にすることができなかった。言葉にしてしまえば、頭で理解できるものになり、それ以上でもそれ以下でもなくなってしまう。 

 虹を美しいと思うために、虹がどういう仕組みで空に表われるのかなんて、僕たちは知る必要はない。人生哲学のページにその言葉を刻み込むことにしよう。 

 僕はただ、肩に乗っかったこの重みと温もりを信じているだけだ。 

 空はすっかり暗くなった。 

 僕たちは黙っていつまでも、虹を探して空を眺めていた。



・曲 B.J.Thomas 「Raindrops Keep Fallin’ On My Head」


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は6月2日放送回の朗読原稿です。

当初は森山良子さんの「雨上がりのサンバ」を掛けたくて「虹が消えぬまに」というタイトルから決めて書いたのですが、思っていたのとは違う雰囲気になり曲を変更しました。

来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。

朗読動画も公開中です。

SKYWAVE FMは下記サイトから聞くことができます。


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