デイヴィッド・ベニオフ 『卵をめぐる祖父の戦争』
夕食後から読み始めて、真夜中まで450ページを一気に読み切ってしまった。それくらい面白かった。
あらすじ
作家デイヴィッドはコラムの題材にするため祖父レフの戦争体験を取材する。そして1942年の最初の一週間に祖父が祖母と出会い、親友ができ、ドイツ兵二人を殺した出来事を聞く。
ナチス包囲下のレニングラード。死んだドイツ兵からナイフを奪ったことで捕まった十七歳のレフは、ソヴィエト秘密警察の大佐に命じられ、娘の結婚式のための卵一ダースを調達してくることに。期限は一週間。包囲下で極度の食糧難の中、どこに卵なんてあるのか?こうして脱走兵として一緒に捕まった青年兵コーリャと共に卵を探す「祖父の戦争」が始まった。
「わし」が語る懐古談話
二人が行く先々で目にするのは、市街でも農村でも最前線でも、地獄のような惨状。それでも語り口の軽さが救いだ。兵糧攻めの最中に卵を調達するという設定も可笑しいが、「わし」という一人称で昔を語るスタイルが効いている。つまり、「わし」という一人称を用いることで、命に係わるスリリングな場面でも「この後どうなるか」ではなく、「どうやってこの危機を切り抜けたのか」に読者の意識を向けることに成功していて、その分だけ深刻さが和らいでいる。
更に、元々のミッションである「卵1ダースを持ってかえることができるのか」に加えて、「祖母とどこでどうやって出会うのか」(ある意味こちらがメインかもしれないが)も気になるので、読者は「ハッピーエンド」になることをある程度想定したうえで読み進めることができる。
相棒のコーリャは生存本能のかたまり
相棒コーリャのキャラクターも一役買っている。向こう見ずでうるさいほどおしゃべり、能天気と言っていいほど楽天的、そしていつでも下ネタ連発なのだが、下ネタが刹那的、享楽的になっていない。
セックスとシモの話が、生きる上で付いてまわる必要不可欠な要素、いわば「生の証」として、おおらかに明け透けに描かれている。
戦争の悲惨な状況下にあっても、「生きる」ことへの喜びがそこに象徴されていると読むのは、深読みしすぎだろうか?
レニングラード版「ライフ・イズ・ビューティフル」
馬鹿げたミッションだけど命がけという必死さに漂うユーモアとペーソス、その結果浮かび上がる戦争という行為の愚かさと痛ましい惨状。
本書はレニングラード版「ライフ・イズ・ビューティフル」だ。
付記
この本は最初ハヤカワ・ポケット・ミステリとして刊行され、その後ハヤカワ文庫NVとして文庫化された。
まだの方はこちらもどうぞ。
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