ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー 『フライデー・ブラック』
「シャープでダークでユーモラス。唸るほどポリティカル。恐れ知らずのアナキーな展開に笑いながらゾッとした。」ブレイディみかこ
帯の文句が傑作な、新人作家のデビュー短編集だが、これがもの凄い。
日常に潜む欲望、暴力を少し誇張して歪んだ形に引き伸ばした物語世界での出来事に、そんなバカな、誇張し過ぎだって、と笑って過ごせない何かがある。
そのシュールでストレンジな展開に、一度読み始めたら一気に引きずり込まれる。
この本をBLMムーブメントの流れの中に位置付けて読む向きも多いと思うが、それは一面的に過ぎない。
ガーナから移民した両親を持つという、いわば"折り紙付き"アフリカ系アメリカ人の作家が、これまでに「日常的に」経験してきた被差別意識が作家の根底にあることは間違いない。
この短編集の冒頭に置かれた『フィンケルスティーン5』、中頃の『ジマー・ランド』の二篇は直接的に、人種間差別による暴力をモチーフにした物語だが、だがここに収められた物語は、それだけではない。
ブラック・フライデーの商戦を舞台にした表題作『フライデー・ブラック』では、セール品に群がる消費者とそれに対峙する売上至上主義の店員達を描いたブラックなストーリーだ。
半ばゾンビと化して目当てのセール品に押し寄せる買い物客を捌く店員達。セール終了後の売場には文字通り掃いて捨てるほどの死体が転がる。
大戦後、遺伝子操作で”最適化”されたはずの子供達が通う学校でのスクールカーストを描いた『旧世代<ジ・エラ>』。
核戦争後に同じ日を繰り返す”ループ”に陥った世界での狂気じみた暴力を描いた『閃光を超えて』。
短編故に読者は何の前触れも説明もないまま、作家が作り出した物語世界に飛び込むことになる。一体どんな時代のどんな世界なのか、読者自らがテクストから想像を膨らませるしかない。
そして、その奇妙に歪んだ世界が、紛れもなく今私達が生きている現代だと気づかされた時が最も怖ろしいのだ。
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