ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』
自由を愛し戦争を憎んだ報道カメラマンの、第二次世界大戦従軍を中心に綴った手記。
表紙の写真"Omaha Beach. June 6th, 1944"はノルマンディー上陸作戦に参加し兵士と共に上陸用舟艇に乗り込み、海中で撮影した写真だ。
手記によれば、彼はドイツ軍の機関銃やライフルの弾丸が飛び交う中、大胆にも海を渡り砂浜まで辿り着き、周囲の撮影を行った後で、やって来た上陸用装甲艇に乗り込み母船に戻った。撮影したフイルムは直ぐに現像されたが、興奮した撮影助手がネガを乾かす際に加熱のためフィルムを台無しにしてしまい、106枚撮影した内残ったものはわずか8枚だったという。「熱気でぼけた写真」には「その時キャパの手は震えていた」とキャプションが付いて公開されることになる。
手記は想像していたよりずっと内面的で人間味に溢れていた。
ヨーロッパに渡り北アフリカ戦線、イタリア上陸作戦に従軍し、その間にもイギリスの片田舎で知り合った女性と恋に落ちる。取材に駆け付けた戦闘地域では、ブランデ―一箱を手土産に指揮官をたらしこんでちゃっかりと最前線へと案内させ、迫真のショットを手に入れる。
戦闘が一段落すれば兵士とポーカーに興じ将校達と酒を酌み交わす。キャパが彼らに受け入れられる根底にあるものは、自由と伝統を打ち壊すナチスとファシズムを激しく憎む共通の思いだが、それ以上にキャパの、人を惹きつけずにはおかない人間的魅力によるものだと思う。
ロンドンに帰ったら、と恋人に贈るプレゼントにフランス製のドレスやレースの下着を買い込み、パリ入城の日には、スペイン内戦時に共和国軍として共に戦った仲間たちに交じり、戦車にのって入城を果たす。
中学の時にこの手記の原文の一部を英語のテキストとして塾で勉強したことがあった。大学を出たばかりの若い英語講師は、高校受験の勉強の合間に時折、英語の歌詞や詩や小説を題材に授業をすることがあったのだ。ローリングストーンズやサイモン&ガーファンクルの歌詞、ケネディ大統領の就任演説、ホイットマンの詩、カポーティの小説などが題材に挙がった。その中にこの手記も含まれていた。
英語を単なる教科として勉強している中学生にとって、英語を通じて英米文化を垣間見せるこの授業はとても新鮮だった。僕の洋楽好きも海外小説好きもこの体験がきっかけだ。原題 "Slightly Out Of Focus"の"Slightly"という単語は「少し」「わずかに」という意味だが、そのニュアンスは伝わるだろうか。日本語で20万km走行の愛車を「いささかくたびれてきてますが、まだまだよく走ってくれます」という時の「いささか」と同じニュアンスだ。
ノルマンディー上陸を撮影した写真は、現像時の手違いによるだけでなくとも手ブレとピンぼけがひどいものだったが、それが却って、戦場の臨場感を伝えていると好意的に受け止められた。
かなりやられちゃってるけど、まあ、実際ひどいところで写真なんて撮ってる場合じゃなかったんだけど、そのためにあそこまで行ったんだからね、まあ大目にみてよ、そんなに悪くもないでしょ、みたいな、自虐と自負が入り混じった気分が「ちょっと」に込められているのだ。
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