当時、渋谷や新宿のデパートなどで香港の俳優さんにバッタリ遭遇することが多かった。
「当時」というのは、僕の青春真っ只中の頃でミレニアム問題が話題になっていた頃で、その頃、アジア映画と言えばウォン・カーウァイ監督の作品が注目されていた。
いつ頃からか香港映画は忘れ去られて韓国映画にとって変わって久しいけれど、青春期に何かを置き忘れてきた気がする僕にとっては、時間はそこで止まったままとも言えるかもしれない。
そしてその忘れものの正体はわからないけれど、大事なものだという予感はあって、心の中に大事にしまっておきたいなと思う事を「ちょっと書いちゃおうかな」と思ってしまうのがnoteの不思議で危険な魅力だと思う。
とかなんとかnoteのせいにして書き始めたけれどこれは決して「オススメの映画紹介」ではないんです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それは「心動」という1999年の香港映画。
日本では「君のいた永遠(とき)」というタイトルで上映された。
僕はこの映画を香港で観て、台湾で観て、日本でも観て計三度観た。観ることになったと言ったほうが良いかもしれない。
三つの国を跨いで(距離は近いけど…)同じ映画を観るという体験は後にも先にもこの映画だけだと思う。
当時、勝手に師匠だと慕っていたライターさんがいた。
その方はいわゆる雑誌ライターさんで、書籍は出していないものの、サブカル雑誌や男性誌など方々の雑誌に連載記事を持っていて、僕はその記事を読むたびに声を出して笑っていた。
映画のレビューから性癖やフェチについてまで幅広く書いていた方だったが、中でも個人的に好きだったのがオススメのアジア映画、俳優などについての連載で、マニアックなのに笑える文章で、本当に憧れた。
そして僕はその方に猛アプローチをして、自分の担当した雑誌で書いて貰うことになった。当然、一緒に飲みにいく機会もあり、貴重な話を沢山聞けた時間は今でも宝物だ。
その方(以後は師匠と呼ぶ)は、独学で広東語を勉強し、現地人にも通じるほどになったと知った。香港の旺角に行きつけのお店があって、その店に日本語でメニューを書いてあげたという逸話も好きだった。
元々僕自身、わい雑な雰囲気が好きなのだろう。実際に僕は一人で香港に行った。その時にそのお店に行き、日本語のメニューを確認してお店の人に「そのメニューを書いたのは僕の知り合いだ」と伝えたのだけど、おそらく通じていない。それどころかマクドナルドでコーラを頼んだらコーヒーを出されてしまうほどの体たらくで、師匠の足元にも及ばなかった。
早い話、その尊敬する師匠の影響で香港映画にどっぷりハマった。
勤めていた会社の近くにアジア映画専門のレンタルショップがあって、そこで毎日香港映画のビデオを借りたり、大久保近辺にあるアジア映画専門ショップに通ってはVCDを買い漁って観ていた。「憑いた」という表現がぴったりくるハマりっぷりで、この時期は睡眠時間が異常に短かった。
そんな香港映画熱、いや香港熱に冒されていた時に、この「心動」が上映された。
主演は当時、日本でも人気だった金城武、同じく人気個性派俳優の(「恋する惑星」)カレン・モク、そして香港のトップアイドルのジジ・リヨン。監督は俳優でもあるシルヴィア・チャン。
物語は、「普通の恋愛映画」をテーマに、回想や打ち合わせ風景を織り交ぜて展開される。高校生の女の子の淡くて甘くてほろ苦い恋愛模様。数年後の再会。そして20年後にあたる現在。
エピソードだけで言ったら、このnoteの世界の記事の方が何倍も刺激的なものはある。ほとんどのnoterさんが「なんてことはない平凡な恋愛エピソード」だと思うかもしれない。
また、人によっては、金城武の色気あるカッコ良さとか、カレン・モクの妖しい魅力だとか、ジジ・リヨンの果てしないキュートさだけが印象に残るだけかもしれない。
ただ、当時の僕は師匠に憧れていて、一つの作品に詳しくなろうとしていたんだと思う。師匠よりも詳しくなりたい。何か一つだけでも追いつきたい。そんな思いで、この映画と向き合っていた気がする。
そしてなんと、僕とは全く関係のない媒体で師匠がその映画の出演者にインタビューすることが決まった時に、僕も同行する事を許された。
この話を聞いてからというもの、僕は何日もの間、興奮しっぱなし。俳優さんへの質問事項だけではなく、お土産もあれこれ悩んで用意した。
でも結局、残念ながら相手方の体調不良か何かでそのインタビュー自体がなくなってしまった。
師匠と僕の共同作業だったはずのインタビュー記事は夢まぼろしと消えてしまった。
そんな事があったせいで、この「心動」という映画は、熱に冒された時に見る夢のような感覚と共に心に残っている。
あの熱、果たされなかった思い。
まさに香港映画に恋をした、もう二度と戻らないあの時あの頃の自分を思い出させる映画で、この先いつまでも僕の心の中にあり続ける映画だと思う。
それは「心動」という映画の「ある種の熱を帯びた時間を共有した人というのは永遠に心の中にあり続ける」というテーマにも重なってもいる。
あれから時間が経って思うのは、自分の心で思っている事と、口から出た言葉が微妙に違っているように、「心の中のもの」と「現実のもの」とは少し違った形で記憶に蓄積されていくだろうという事。
だとしても、
とても大切なものだということには変わりがないのだけど。