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仏教がインド西北に広がって生まれたもの

さて、今回は「仏教にまつわる『へぇ~』な話:その2」ということで、仏教について話題提供しています。

仏教は、釈迦の王族であったガウタマ・シッダールタが、悟りに達して仏陀になり、口授口伝で弟子達に伝えたことで開祖します。

その教えは、ガウタマ・シッダールタ(釈迦)の死後も受け継がれ、インドから各地に広がっていきます。

その一つの地域がガンダーラでした。

そこで、仏教は運命的な出会いに遭遇します。

それが「ギリシャ彫刻」

ガンダーラは、アレキサンダー大王の東方遠征でギリシャの植民都市になっており、ギリシャ文明が流入していました。

そこに、仏教が到達するのですが、すぐに「仏像」は誕生しません。

なぜなら、当初は、開祖であるガウタマ・シッダールタ(釈迦)の姿を表現することは禁じられており、人間の姿で表わすことなく、足跡や傘、車 輪といった象徴によって、その存在を暗示するという約束ごとがありました。

なお、弟子達はガウタマ・シッダールタ(釈迦)の遺骨を最も崇拝する対象としており、遺骨を納めた塔が礼拝の対象でした。


そしてようやく、紀元前1世紀頃のクシャーナ朝時代に、ガウタマ・シッダールタ(釈迦)が人間の姿で表されるようになります。


そこで生まれたのが「仏像」です。


つまり、仏像は仏教がギリシャ文明と融合することで誕生したのです。

ちなみに、元々、弟子達が崇拝していたガウタマ・シッダールタ(釈迦)の遺骨は「舎利(シャリ)」と呼ばれ、その遺骨を納めた塔は、「舎利塔(仏塔)」と呼ばれます。

お寺には、「塔」が建っていますが、それが元々の舎利塔です。

ついつい、「仏像」を有難く拝みたくなりますが、実は拝む対象は「塔」だったんですね。


知っていましたか?


さらに、寿司のシャリは「舎利」からきている、という説もあります。

さて、如何でしたでしょうか?「へぇ~」となっていただけましたでしょうか?

次回、お寺に参拝する時は、是非「塔」に対しても拝んでみて下さい。

世の中の物事には、知らないストーリーがたくさん詰まっていますね。そのストーリーを知ることで、興味が深まっていくことを感じます。

あなたのビジネスストーリーは、どのようなものがありますか?

是非一度、考えてみて下さい。

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