非正規の力をどう生かす
本日はこちらです。
非正規の力をどう生かす・・・うーん「活」かす?・・・「生」かす?・・・。
さておき、本日はこのテーマで書いていきたいと思います。「非正規雇用で働く人の力を組織にどのように生かしたらよいでしょうか」について書いていきます。
同一労働・同一賃金など存在しえない
僕は以前からこの考え方には無理があると思っている。
同一労働など存在しない。
そんなことは日本社会において当たり前すぎる事実だ。
ある会社の営業部をのぞいて見ればわかる。新入社員が入ってくる、中堅企業の顧客担当になってもらう、慣れてきてある程度力があることが分かってきたら大手を担当させる、一通り回せるようになったら係長にして、40歳前後で課長になる。
こんなイメージの仕組みにおいて、同一労働の尺度はいれようがない。
まず、新入社員に中堅企業を担当させる・・・もうこの段階で同一労働とはなんぞやと考えさせられる。仮に顧客として中堅企業が2つあったとする。一つを新入社員が、もう一つを派遣社員などの非正規社員が担当したとき、この二人の賃金はどうなるのか?
一見すれば、この二人は同一賃金たるべきだろう。ならば、どんなにベテランの派遣社員でも、新入社員と同じ賃金でいいだろうか?それはありえないことだろう。
何かよほどの専門性の高い世界で指標がはっきりしているような話でも無い限り、同一労働の判断はとてつもなくむずかしいのだ。
同一「機会」・同一賃金
もっとはっきり言えば、同一機会・同一賃金が世の中にはあっている。
どれだけ雇用が流動化してきたとはいえ、企業は便宜上、正社員を幹部候補生として養成することを目標にしている。新入社員研修をやり、仕事をローテンションさせて経験を積ませて、仕事に慣れさせ、業界を理解させ、回せるように育てるのだ。そして、後輩をつけてリーダーシップを学ばせて、うまくいったやつを管理職にして次世代の経営幹部にしていく。
このビジョンに則って与えられた機会。この機会に対して賃金が決まっているのだ。この機会が同一だから、正社員間での給与に大差がなくても、世の中は成立していると言っていい。
つまりこれは、実力とは何によって身につくのか?という疑問に対する僕なりの一つの答えである。
もちろん個々人で並々ならない努力をしてこられたと言い張る人はたくさんいるだろう。そして実際そういう人は頑張ってきたのだろう。それ自体は否定しない。しかし、頑張る場があったことは本当に幸運なことだったと考えるべきだ。
そういう機会すら与えてられいない人がたくさんいる。もしその機会を得られれば、あなたよりもっと頑張ったかもしれない、もっと成果を出したかもしれない。それは測りようがない世界だが、可能性として想像しておくべきことだろう。
日本社会においての公平感は、与えられている機会に対して賃金が決まる方がベターではないだろうか?
非正規社員の機会損失
となれば、是正すべきは非正規社員に対してちゃんと機会を与えられていないこと、と言える。経営者が持つべきマインドは、非正規社員もしっかり育てる、という発想だ。
「非正規社員にも能力主義や成功報酬で頑張ってもらう」などという、もっともらしい主張は、現場をしらけさせる悪い冗談にしかならない。
初めから正社員に能力主義など求めず、平等に機会を与えてデコボコはあるけど正社員の皆をそこそこ成長させてきた会社が、非正規社員にだけ能力主義を押し付けるなど、非正規社員にとっては、詰んでおり、無理ゲーなのだ。
彼らにも成長させるための機会を平等に与える必要がある。よほどの致命的な問題がない限りは、意欲があるなら正社員と非正規社員の両方に同じだけの機会を与えること、それがあるべき姿である。
正社員をリストラするしか道はない
意欲のある、正社員と非正規社員の両方に数限りある「機会」の資源を適切に配分するにはどうすればいいだろうか?一番簡単な方法は、概ね50歳以上の一通りの「機会」を通過した正社員、これの多くのクビを切ることだ。この空いたポスト=機会を、若い世代の正社員と、全世代の非正規社員で再度振り分けていくのだ。
50歳以上の正社員は今後、非正規で働いてもらう。
再度面接を受けてパスすれれば良い話だ、いとも簡単にやってのけられるはずだ、散々「機会」は与られてきたはずなのだから、実力に問題はないはずなのだ。
「そんなに簡単な話じゃない!」と仰るのであれば、そういう難しい話を非正規社員ばかりに押し付けるのか?というカウンターパンチを喰らって頂きたいところである。
そうやって機会を食い潰しているエリアをあぶり出し再配分するしかないだろうと思う。