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彼の名はもんじろう。出会いから10年。


私が「もんじろう」に出会ったのは、10年前。
10年前まで彼は、福島の葛尾村にある山の大将でした。
一日中、山を駆け回り、お父さんがベルを鳴らすと、家に帰ってきてご飯を食べるという暮らしをしていたのです。

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10年前のあの揺れ、水を求めてリュックを背負い、学校までの道を上り下りしたこと、今も鮮明に覚えています。しかし、何より強く思い出すのは、何もできない自分の無力さです。電気のつかない部屋でただ怯えることしかできませんでした。

少し落ち着くと、私は被災した動物たちのお世話をするボランティアを始めました。そこには、犬、猫、馬、豚、アルパカなどたくさんの動物たちがいました。その施設にいたのが、もんじろうです。その後、私たち家族は彼を引き取りました。

彼の葛尾村の家族とは、家族ぐるみの付き合いになりました。福島のおいしい桃や柿を送ってくださったり、私たちからも彼のアルバムを作って送ったりしています。もんじろうが作ってくれた縁です。この縁は、私にとって宝物です。彼らは長い間仮設住宅で暮らし、現在は別の場所で暮らされていますが、年齢的にもんじろうと一緒に暮らすことは難しくなっていまい、もんじろうは今も私たちと暮らしています。

コロナ禍以前、もんじろうを連れて福島に行ったときのことです。葛尾村の家族のみなさんは私たちが遊びに行ったことをとても喜んでくださり、みんなでとても楽しい時間を過ごしました。しかし、一つ胸が苦しくなる出来事がありました。

お父さんが、もんじろうに「ごろん」と芸をするようにいいました。しかし、もんじろうは首をかしげるだけで、「ごろん」をすっかり忘れてしまっていました。何度か、もんじろうを連れて福島に行っていたのですが、私たちは、もんじろうがその芸を持っていることを知らなかったのです。この時、取り戻せない時間の重さを感じました。お父さんの「そっか。忘れちゃったか。」と言うさみしそうな顔が忘れられません。原発事故によって失われたものを思い知りました。

原発の被害により、もんじろうは大好きな故郷を失いました。今もふるさとに帰りたくても帰れない人、帰りたくなくても帰らざるえない人、様々な分断の中で苦しんでいる人たちがいるのです。


もんじろうは、歳をとりました。目はすっかり白く見えていません。でも、彼は「かわいそう」とは程遠い犬です。山で遊んでいたおかげか、足腰は強く、たまに転ぶこともありますが、今日も元気に大好きな散歩をしています。ベッドで寝ることだってお手のものです。

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ご飯をもりもり食べ、いびきをかきながら寝て、私が歌うと遠吠えをしています。最後の最後の日まで、もんじろうを強く抱きしめて、たくさんいい子いい子してあげたい。もんじろう、ありがとう。長生きするんだよ!

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