自分の鼓動を島に置いてきた -[心臓音のアーカイブ] クリスチャン・ボルタンスキー(豊島)
某日、豊島(てしま、香川県小豆郡土庄町)。
唐櫃(からと)港から、海沿いに歩く。
屋外展示のアートを鑑賞しつつ、
案内の看板を頼りに、炎天下の下、港より徒歩15分ほど。
小さな美術館に行き着く。
ここに保管されている作品は、人々の「心臓の鼓動」だ。
人々の生きた証として心臓音を収集
このアートの意図は、以下の記事に詳しい。
記事によれば、作家自身の心臓音の鼓動にあわせてが展示室に電球が明滅するアート作品、それが「心臓音のアーカイブ」の原型だという。
それはやがて、さまざまな人の心臓音を収集するプロジェクトへと発展していった――人々の生きた証として。
豊島に「心臓音のアーカイブ」ができたのが2010年。心臓の鼓動を録音する「レコーディングルーム」では、ボルタンスキー自身も録音を行っている。
作家と訪れた者たちがともに心臓音を録音し、それらは1つひとつのアーカイブとして保存される。訪れる者たちは海の景色を前に、見知らぬだれかの心臓の鼓動(生きた証)を聴く。
心臓音を録音してみた
豊島へは棚田の写真を撮りに、そして豊島美術館で時間を過ごすために来た。
それがなぜ、島の端まで足を延ばす気になったのかといえば、自分のかけらのようなものを、遺してみるのもいいのではないかと思ったからだ。
豊島は、完全なオーバーツーリズム状態で、アート関連の施設は混雑し、「心臓音のアーカイブ」にも大勢の人がいた。
ただ、心臓音の録音に関しては所要時間が長くても10分程度だ。累計で何人の心臓音が録音されたかのカウンターは、待っている間にも、どんどん数を重ねていった。
自分の番が来ると、外の音を遮断した「レコーディングルーム」に案内される。名前とメッセージを入力し、医師の持つ聴診器のようなマイクを心臓にあて、録音・保存ボタンを押すのも自分だ。
心臓音を録音するのは、思いのほか難しかった。マイクはなるべく肌に押し当てて、というアドバイスをもらったが、ちょっとした服の摩擦で、バリバリとした雑音が入ってしまう。そして当てる位置によって、急に音が聞こえなくなったりもするのだ。
やり直しは1回だけできたが、慣れたはずの2度目にも、雑音が入ってしまった。それどころか、わたしの心臓音にはそもそも雑音が入っているのか、きれいな音にならない。もしかして健康上のなにかがあるのだろうか?
と若干不安になりつつ、レコーディングルームに居たのは5分程度。そのあとは、CDができあがるのを待つ。
CDとブックレットを記念に
担当の方が、慣れたようすで(そして優雅に)できあがったCDを取り出し、ナンバリングをし、ブックレットとともにオリジナルBOXに詰めてくれる。入館料含めて2090円(2024年9月の料金)。
ちなみに、メッセージには「豊島に自分のかけらが残るなんて素敵」と入力した気がする。メッセージなんて求められると思わなかったから、ほんとうに即興だ。
来訪者は見学だけ、だれかの心臓音を聴くだけ、という時間の過ごし方もできる。心臓音はナンバリングされており、録音年や国籍、といったデータからも検索できる。
わたしの心臓音は、5万6000番台だ。そんな大勢の人のかけらとともに、アーカイブに収まった。
だれかが、たまたまそれを見つけてくれるかもしれないし、誰にも出会うことなくそのままかもしれないけれど、ただ呼び出せば、訪れたその日その時間のわたしの生きた証が、そのまま再生される。そう考えると、なんだかたのしい。
そして自宅でCDを再生するなら(するかな?)その日の豊島の太陽と風が、ふとよみがえってくるかもしれない。