丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
猪熊弦一郎=1950年、三越の包装紙をデザインしたアーティスト。
(ちなみに、当時の三越宣伝部の担当者でありデザイナーは、やなせたかし氏。包装紙内のロゴは、やなせ氏が描いた、と後述の本にあった)。
カフェの本に導かれて、丸亀まで
ほぼ1年続けてきた島旅も、3月で一区切りの予定。今回の滞在は少し長めで、天候の理由から、島に渡るのは後半にしようと思っていた。そもそも、体力的にかなり疲れてもいた。
そんなさなか、ホテルのライブラリカフェでこの本に出逢う。ぱらっと見ると、作家の生誕地はここの町名となっている。
作家の名前と、丸亀市にある美術館がとてもいい、という評判は聞いていたように思う。席に持って行って読み出し、惹きこまれて読了する頃には、Googleで場所を調べ、これから出かけてみようという気になっていた。
高松駅発、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ。
丸亀駅と、一本道路を挟んだ向かい、という立地。
自然光が入り込む、白くやさしい世界
絵本の中に入り込んでいくかのようなエントランスから、館内へ。
館内に掲示されていたプロフィールは下記。猪熊弦一郎氏は高松市に生まれ、東京美術学校(現・藝大)卒業、第二次大戦まで在仏。
加えてさきの本によれば、1950年代にニューヨーク、70年代にハワイで創作活動を続け、90歳で没。
吹き抜けに展示された1作目が《Faces 80》。85歳のときに愛する妻に先立たれ、それから作家は顔を描くようになった。華道家の勅使河原宏氏はこれを「曼荼羅」と表現したという。
2階の常設展へ、階段をのぼる。堅苦しさはなく、自然光がふんだんに射しこむ自由な空間が広がる。
常設展は2つのエリアに分かれ、奥まった[展示室A]では1920~60年代はじめまでの油絵を中心とした作品が展示。こちらでは、番組収録が行われていた。
[展示室B]は60年代半ば~最晩年までの作品が展示されている。
作家の没年=1993年、90歳。没年の作品が、こちらだ。
年齢を作品の感想に加えたくはないけれど、年齢を重ねるごとに作風が自由になっているように感じられ、[展示室B]の作品たちは、特に自分のなかに入り込んでくるように思えた。
より軽やかな、晩年の作品群
本稿を見てくれている方々のためというよりはわたし自身のために、[展示室B]の作品たちを下に。
この気分の、記念に
作家は猫を「1ダースも」飼い、同世代の作家たちと交流し、かわいいもの、すてきなもの、そして捨てられたものまでにも愛情をそそぎ、生涯通じて妻を愛した。ものに対するすてきな想いを綴ったエッセイは、先の本の巻末にも収められている。
どこか疲れている自分の心身に、作家の人柄と世界観が、じんわりと染み込んでいく。アートによる癒し、みたいな感覚に久しぶりに包まれていた。
クリアファイルとハンカチーフを、この気分を思い出すための記念品として買った。ハンカチはさっそく、その後の島旅にも持参した。
導かれて足を運び、そして出逢う
一冊の本に導かれて、初めての場所へ。
自分がなにかに対して開かれていて、微弱な電波みたいなものをキャッチできたとき、必要なところに足が向き、必要なものが得られる。
なかなか難しいことだけれど、この日は、できた。
そのことに感謝しながら。