ケアテックの"功罪"について考えた。
「科学の功罪についてどう考えるのか、科学者として意見を聞きたい」
科学者、技術者、研究者であれば、一度は問われたことがあると思います。
思わず言い淀んでしまう、難しい問いです。
今回のnoteは、この難しい問いに対し、今できうる限り私なりに回答をした、挑戦の走り書きになります。
※本noteは、「ケアテックの功罪と介護現場での立ち位置」について個人的な見解を述べています。
【きっかけはある記事から】
先日、ケアテックの功罪について警鐘を鳴らす記事を知りました。
記事の概要は、以下だと理解しています。
「ケアテックを推進する宇井さんには、この記事内で危惧されていることを忘れないでほしい」
記事の送付と合わせて、そんなメッセージをいただきました。
祈りにも似たこの発信への回答は、到底簡単に答えられるものではなく、回答に時間がかかってしまいました。
技術倫理ではよく、「包丁は食べ物も切れるが、人も殺せる。最後は人がどう使うかだ」と言われます。
確かにその通りです。
移動時間を大幅に短縮した車で、一体何人がこれまでに亡くなっただろう。インターネットは世界中の人々を繋いだけれど、世界中の人々から誹謗中傷を浴びせられる恐怖も作ってしまっている。
それでもなお、私たちがテクノロジーを追い求めているのはなぜだろう。
すがるように考え続ける中で、その答えの一助が、私が心から尊敬するロールモデル、ナイチンゲールにあると気づきました。
【ケアテックは”介護現場”理念を乗せて走る船】
彼女は実は、エンジニアとしても、サイエンティストとしても、とても優秀でした。
看護師と患者を繋ぐナースコールの原型を発明したのは、彼女です。
温かいうちにご飯を運ぶ病院内のリフトの設置を指示したのも、彼女です。
衛生環境を改善することが死亡率を下げることをビジュアルで伝えるため、なんと“円グラフ“の考案に寄与したのも彼女と言われています。
私はこのナイチンゲールが生み出した数々のテクノロジーこそが、ケアテックの本来あるべき姿だと考えています。現場発信のテクノロジーであり、支援者の「もっといいケアがしたい」という想いから産み落とされたものです。
ケアテックはいわば、“介護現場"理念を乗せて走る船ともいえます。
私たちabaの「ヘルプパッド」がシート型なのは、「利用者さんの身体に機械を付けたくない」「生活支援の場で、ご本人の生活を乱したくない」という介護職の方々の想いを具現化したためです。
あの形こそが、介護職さん達の想いそのものであり、理念を乗せて走る船を体現しています。
海外の介護関係者にヘルプパッドを見せると「さすがジャパンクオリティだ!」と感心されます。
そのたびに、日本の介護職の皆さんの理念を伝えられるのは、日本の介護の素晴らしさを尊敬してやまない私にとって、この上ない幸せなご褒美時間になっています。
【空回りするケアテック】
しかし、ケアテックがもたらすものは、必ずしもプラスのことばかりとは限りません。
ケアテック導入によって、現場の負担が増えたという話もこれまで何度となく聞いています。
ヘルプパッドを始めとした介護センサーが鳴り続けて、眠れない夜を過ごす夜勤者さんがいる。逆にセンサーを過信して、ご本人がしんどいと訴えても「バイタルセンサーは異常を示していません」とあしらう材料にしてしまっている場面がある……。
ヘルプパッド開発中に幾度となく介護現場にお伺いする中で、そういう場面に立ち会ってしまったことも、これまでも何度もあります。
そしてこの現場の状況こそが、元々の朝日新聞の記事にある、
「科学的介護は介護現場を鬼にする」という懸念を生む所以なのではないかと推察します。
では、テクノロジーを一切排除し、オーガニック食品のような「オールハンドケア」を実践すれば良いのか?
でも人手不足は必至。このままいけば、そもそもケアを受けられない高齢者が続出する未来が、目前に迫っています。
テクノロジーと人間の力という、二者択一ではなく、第3の方法はないものかを考える中で、私は一つの答えに辿り着きました。
【ケアテックは、ケアチームの一員】
先日、「いばふく」というイベントで登壇してきました。
登壇者たちの素晴らしいケアの発表を聞きながら、「ケアテックの功罪」について、頭の片隅で考え続けていました。
登壇中に、私は「"なんでもできるロボットはなんにもできないロボット"という格言がある」とお伝えしました。
万能なテクノロジーは存在しない。
そもそも万能なものを開発しようとすると、なんの役にも立たないものができてしまうという、戒めの言葉です。
そんな話をしたら会場の方から、こんな感想をいただきました。
その言葉を聞きながら、私はケアテックと人の交わり方について、何か大きなヒントをもらったような気がしました。
確かにそうだ。
完璧ではない人間同士が集まって、最高のケアを実践している。
むしろ1+1が2以上になっている。
なぜそれが可能になるのか?
……そうか、"チーム"でケアをしているからなんだ!
ここから先は私の仮説です。
ケアテックが本当に現場で役に立つためには、真の意味で介護職さん達にチームの一員として認めてもらい、受け入れてもらう必要があるのではないか。
お互いの得意不得意を補完するような関係を作ることが、何より重要なのではないかと思ったのです。
ヘルプパッドは24時間365日、排泄があればお知らせします。
しかし、ヘルプパッド自身がオムツ交換をすることはできません。
ご本人に声をかけることも、目線を合わせて相手を安心させることもできません。
ただ、ひたすらベッドで臭いを嗅ぎ続け、排泄をお知らせすることしかできないです。
そう考えると、本当に不完全な、限られたことしかできない奴ですが、それでもチームの一員として、介護現場の皆さんの役に立てる場面があるはずです。
なぜなら今、この瞬間も「排泄があったら、できるだけ早くおむつを変えて欲しい」と願う高齢者・障害者と、その願いを叶えたくても、おむつを開けなければ、排泄があるかどうかがわからない介護職さん達は、すれ違い続けているからです。
つまり私たちabaは、ナイチンゲールの作ったナースコールを再発明し、アップデートし続けているのです。
この再発明とは、単なる機能向上ではありません。
これまでのナースコールはあくまで、ご本人が「助けてほしい」と明確に意思決定をし、呼ぶ必要がありました。
しかしヘルプパッドは「ご本人が排泄をしている=不快である」と感じ取り、ご本人に代わって代弁します。
これは朝日新聞記事の趣旨でもある、
「高齢者が発する僅かなサインを捉える事の重要性」を体現しているといえます。
高齢者自身が「なんでもないよ、ほっといてくれ。」
とおっしゃっても、ヘルプパッドから
「排泄されていて不快だと思うので、おむつを変えてもらえますか?」
とさりげなく代弁したら、チームとしてより優しく見守れる、よりよいケアができるはずです。
ケアテックは危険分子ではなく、皆さんの分身です。
ケアテックを道具ではなく「仲間」として扱ってくださった時、きっと血の通ったケアを、より下支えする存在になると信じています。
皆さんと共に、より良い介護を実現する一助になれるよう、これからも皆さんの想いを形にしていきます。
そしてこんな私と話してみたい人、ケアテックの未来について語りたい人、ぜひいつでもご連絡ください。
何度でも、何の話題でも、ぜひ対話させてください。
介護の楽しさに1人でも多くの人が触れられる機会を、一緒に作り上げさせてください。
みなさまのご連絡をお待ちしております。