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泳ぎづらい魚たち


カーテンを伝わって部屋に9月の風がそよそよと入り込んでくる。

窓辺には白いクロッカスの花。

クロッカスは器用な花だと思う。水中でも土の中にでも、そのコロンとした球根を植えると、やがてこんなに愛らしい花を咲かせる。

弱い人間はこんな風にはいかない。どんな場所でも花を咲かせることのできる人は一握りなのではないのだろうか。

置かれた場所で咲きなさい

と言われたことがある。確かにそれができたら素敵だ。その努力は必要だと思う。
しかし、自分に合わない場所で努力し続ける。そんな根性や強い心がどのくらいの人に備わっているのだろうか。
水に浮かべられても、土に植えられても、空中に放り投げられても、その場所に合わせて花を咲かせる器用さをほとんどの人はもたない。


弱い人間は
どうしたらよいだろう?


置かれた場所から
   早く移動しなさい





自分の花を咲かせることのできる場所を探しなさい


これも美しい花を咲かせるための手段の1つではないだろうか。

自分に合わない水の中を泳ぐのはしんどいし、辛い。
泳いでいるうちに体力を奪われ、疲れはててしまう。

だったら、水を変えてみる。水でだめなら自分に合った土を探す。
その努力ならできそうな気がする。
今まで苦しんでいた人が、環境が変わったとたん、いきいきと活動し始める。そんなことはよくある。



人を育てる仕事をしていると、その大切さを痛感する場面に出くわすことがある。



これは前代未聞かつ最善の進路指導の物語

中学校留年を選んだ少女の物語


アキナという子がいた。
アキナは中学3年生でネパールから転校してきた。もちろん言葉は全くわからない。
アキナは良い子だった。いつもニコニコと愛嬌があり、頭も良かった。父親のカレー屋さんの手伝いをよくしていた。日本語の吸収力は高かったが、それでもコミュニケーションには苦労していた。何とか日本の中学校に馴染もうと必死だったが、慣れない環境の中で泳ぎにくそうだった。

進路に当たっては

言葉の壁が
立ちはだかった。

日本語がわからない彼女が、一般の入試を受けたとしても受かる可能性は極端に少ない。担任は何とか「事情を全てわかったうえで、アキナを受け入れてくれる面倒見の良いところ」を探した。また、お金の心配もつきまとった。カレー屋さんの収益は決して潤沢とはいえない。

そこで
夜間の公立高校はどうかと考えた。これならお店の手伝いとの両立もしやすい。
幸いネパールの人が何人か通う夜間高校が近くにあった。

担任は、何度も問い合わせをし、アキナを高校の見学に連れて行った。高校の先生と直接話をして、これなら大丈夫と判断をした。

やれやれ。これで何とかなる。

そう思った矢先のことだ。

父親の異動が決まった。

進路は振り出しに戻った。

すぐ隣の県だったが、この時点からの進路先の決定は、ハンディのあるアキナにとって絶望的だ。仮にあったとしても、訳もわからないところにアキナを進学させて、人生を失敗させたくない。

どうする?
葛藤、思慮、葛藤、葛藤、、、決意。
迷いに迷った末に担任の出した答えがこれだった。

中学を留年し、隣の県の公立中に転校させ、もう1年3年生をやり直す。

これに対してどう思うだろうか?

公立中学の留年などあり得ない。普通はそう思うのではないだろうか。
何事も特例はある。「原級留置」がこれに当たる。しかしこれを発動するのにはかなり勇気がいる。

だが、今無理して進学するより、日本語の習得しながら、ゆっくりと来年度の入試に備えるほうが彼女の長い人生にとって、プラスではないか。アキナならもう1年あれば、かなりハンディはなくなるはずだ。

多くの人でアキナの進路について何時間も話し合った。保護者も本人も最初は驚いたが、丁寧に熱心に説明を繰り返した。

そして想いは伝わった。


アキナは隣の県の公立中学で2回目の3年生を送ることになる。


その2年後、担任はアキナの父親のカレー屋を訪ねた。

果たして

そこにアキナの明るい笑顔があった。日本語をスムーズに話す彼女は、友だちも多く得ていた。

何より希望の進学先で楽しく生活している様子が伝わってきた。

アキナのカレー屋から戻った担任はとびきりの笑顔でその話をしてくれた。
まるで自分の子供のことを語るように。


合わない水の中で泳ぐことはしんどい。
あのときアキナは泳ぎづらくてもがいていた。その時の水の中では溺れてしまいそうだった。それを掬って、他の水に移すことで、いきいきと再び泳ぎ始めた。まるで「水を得た魚だ」


これは極端な例なのかもしれない。留年を勧めるものでも決してない。

しかし「置かれた場所で咲く」ことに拘りすぎる必要もない。
山頂にたどり着く道はいく通りもある。たどり着くまでの時間もそれぞれ違う。


世の中に苦しくてもがき、溺れそうな魚が何匹もいる。

そこで頑張り続けるか、水を変えてみるか、選択肢は1つではない。

泳ぎづらい魚たちへ。
それぞれに合った水はきっとある。











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