短歌「読んで」みた 2021/07/03 No.7
人生にいくども出会うAランチこの平凡をいま愛おしむ
大西 淳子 『さみしい檸檬』(柊書房 2016年)
社員食堂や喫茶店、定食屋、麺類の店など、多くの店に昼時はランチが並ぶ。ランチは集客のための手段である場合が多い。だからお手軽な値段で各種並ぶ。Aがある、ということは1種類ではないということで、最低でも2種類から選ぶことが出来る。そこにも喜びはあって本当にささやかな、なんでもない日々の光景である。
しかし、作者はそのささやかさをただ謳歌しているのではない。下の句の「この平凡をいま愛おしむ」のは、そうではない日々がそれ以前にあったからではないか。なんでもないなんて言えないほどのもの。あるいは平凡が感知できないような慌ただしい日々。どんな日々だったかはこの短歌からは推測しか出来ないものの、嵐のような日々をくぐり抜けた後だからこそ、この数え切れないほどある、平凡な日々を愛おしむことが出来るのだ。
暮らすということは平坦ではない。いくつもの山を超えたであろう作者のこの時の穏やかな心持ちが、普通の言葉で作られていることでより確かに、静かに伝わってくる。
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平凡はその時にはわからないもの。
平凡に暮らしている時は、それが平凡じゃなくなる、失われる時が来ることなんて想像も出来ない。ただその日々を今を普通に暮らすのみである。
去年から今年、私たちの周囲は大きく変化してしまった。普通にしていたことの多くが病禍のために禁じ手となり、それ以外の手段で暮らさざるを得なくなってしまった。以前の普通はもう、どこにもない。
ワクチンだとか治療薬の開発だとか、明るい話題も増えてきたが、まだそれを全面的に信頼して羽根を伸ばすことはとても出来ない。以前のような、平凡な日々をもう一度手に入れるのはいつのことだろう。いつかはきっと、来るとは思っている。けれど、こんな小さくも確かな幸せを噛みしめる日を想像することすら出来ない今、この短歌が体の、感触の各所に染み入ってくる心地がする。