短歌「読んで」みた 2021/06/18 No.5
目がさめるだけでうれしい 人間がつくったものでは空港が好き
雪舟えま 『たんぽるぽる』(短歌研究社 2011年)
歌集『たんぽるぽる』の一首目に配されていた歌。
この歌を知った最初は、なんとおしゃれでかわいらしい歌、と思った。空港が好きという自分の嗜好との重なりもあり、気持ちを鷲掴みにされたものである。それから数年が過ぎ、歌集を開く度に好きだと再確認してきたが、今あらためて読んで、作者の人となりを伝える挨拶の歌でもあると感じている。
一見飛躍し、対立させているかのように見える上の句と下の句。しかし完全に対比・対立するものではなく、同じ光度の明るさが貫かれていることで統一感がある。それが、そうであるのは作者という一人の人の説明だとすれば納得がいくし、なぜ歌集の冒頭に配されているか、わかろうというものである。
前段で「同じ光度の明るさが貫かれている」と書いたが、これは非意図では無く、十分に考えられたものではないか。「覚める」でも「醒める」でもなくひらがなで「さめる」であること、「つくった」であること。表記されたものというのは漢字が多いと画数の関係なのか見た目が硬く、暗くなるものである。作者はそこを意図してひらがなにし、明るさと軽みを歌に持たせた。句またがりの多用と一字空けにより平明に、話しかけるような、つぶやくかのような効果が生まれ、これも一首の内の明るさの補助として働いている。
* *
なぜこんなにこの歌にひかれるかって、私の朝が最悪だからだと思う。目が覚めて毎朝絶望する。もう死にたい、と思う。それが少しずつ時間とともに緩和して、普通レベルになって目覚め完了となる。「目がさめるだけでうれしい」だなんて、なんてハッピーなのだろう。私にはない安定ぶりに救われた思いがする。
一字分スペースを空けての続きは、私にとり激しく同意出来ることである。全ての乗り物の中で航空機が好きだ。「飛ぶ」ものに乗れることは特別である。なんたって、私は遅くても走れるがどうやっても飛べない。飛べると思った方法は試したが飛べなかった。だから飛行機に乗るというだけで高揚したものだし、今もそうだ。
子供の頃は飛行機に乗れるだけで嬉しかったものだけど、それ以上に好きなのは空港であることに、少し物心がついてから気づいた。空港が駅とは違う明るさに満ちているのは窓の開口部が大きいこともあるが、そこが非日常につながる場であるからかもしれない。
空港には独特の気が上がっている。それは空港に来るすべての人が持ち寄ったもので繁華街とも駅とも違う不思議な気流のように感じる。私は調子が上がらない時、空港へ行く。好きなだけ離着陸を見て、美味しいものを食べ、これから発つ人到着した人を見て、少し買い物して帰れば十分に気が満ちている。そんな時、この歌ほどではないけれどきっと、私も明るさに包まれていると思っている。