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You’ve Got to Have Freedom
「まだジャズ集めてねえの?ダセェな」
そう言って、そいつはいたずらに笑った。
正直、めちゃくちゃ腹が立った。
だけど、なんとか引きつった笑いをつくって、
「そうだな、そろそろ買うわ」と、私は返した。
「ラビットハウス」というアパートの一室。
8畳くらいの1Kの部屋に、そいつは住んでいた。
押入れには畳んでない服が山積みになっていて、
ちょっとすっぱい臭いがした。
あろうことか、その臭さを消すために、
そいつは加えてチャンダンのお香を焚いていて、
部屋の中は安っぽい古着屋みたいだった。
「まさに"ウサギ小屋"だな」
「うるせえよ」
そんなお決まりのやり取りを、何度しただろう。
ラビットハウス、304。
部屋番号がついてると
よりウサギ小屋感が増して、
よくそれをイジっては笑った。
ただ、そのウサギ小屋には、
ターンテーブル2台とミキサー、
そしてレコードがあった。
家賃が激安の、冬は雪に覆われる、
地方都市のウサギ小屋。
私は帰省するたびに、そこに寄って、
そいつのレコードを聴かせてもらうのが、
いつもの決まりになっていた。
そいつは、性格がクソ悪く、
そのうえ強面だったが、
持っているレコードはいい音楽ばかりだった。
女ウケを狙ったのか、
高校を卒業してからDJを始めて、
その人となりに合わない、コーラスグループの
お洒落な音楽をかけるようになった。
なんでも渋谷の、ある小さなクラブの影響を
モロに受けているらしかった。
ここはド田舎なのに。
それで今度はジャズを集めることにしたらしい。
著名なDJの影響を受けて。
「いま、ジャズがいちばんカッケーんだよ」
だって。
それこそダセェな、と言いかけて、
そいつがかけた、
一枚のレコードの溝を針が走り始めたとき、
私は、息を呑んだ。
◇
帰省を終えて、東京に戻った私は、
早速、中古レコード屋に行って、
そのレコードを探した。
お茶の水、新宿、渋谷…
しかしどこに行っても、そのレコードは
示し合わせたかのように、売っていなかった。
昔からの人気盤、らしい。
半ば諦めて、最後に新譜でも
見るかと思い、渋谷のDMRという
ウサギ小屋とは真逆の、
洗練されたレコード店に入った。
ヒップホップの新譜をあらかた見たあと、
ふと、他のコーナーの壁に並べられている、
レコードに目をやった。
ーそこに、そのレコードはあった。
いや、厳密に言えば違う。
あのウサギ小屋で見て、
聴いたレコードとは別テイクの、
さらにそれをシングルカットした
ものだった。
ただ、その時の私には、
それを買わないという選択肢はなかった。
家に帰ってすぐ、そのレコードに針を落とすー
ーサックスの咆哮が、
雷鳴のように身体を突き抜けるー
また、声が出なくなった。
◇
今ではその悪友も、真っ当な仕事について、
結婚して子どももいる。
こないだは、仕事に関連して論文も出した。
信じられない。
そいつはレコードや機材は処分して、
DJはもうやっていない。
「もうジャズなんて聴かねーよ」だって。
あれからお互い、いろいろあった。
それはそれで、そいつが選んだことだ。
ダサいとか、ダサくないとかじゃ、もうない。
一方で私は、論文は出してないけど、
結婚して子どももできた。
それも、自分でも信じられない。
だが、あの雷鳴に撃ち抜かれた日から、
ジャズのレコードを集めはじめ、
そしてまだ、それを聴いている。
そしてそれも、
ダサいとか、ダサくないとかじゃ、もうない。
なんでもないド田舎出身の、
何者でもない、ひとりの男。
そのサックスの咆哮は、
あの時の初期衝動を、その男に呼び起こす。
拳を突き上げろと、その男の背中を叩く。
自由だ、と。私たちは、自由だと。
私の人生を変えた曲を、
私は決して忘れない。
ありがとう、ファラオ・サンダース。
どうか、安らかに。
Pharoah Sanders
"You’ve Got to Have Freedom"
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