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間違いのない選択をするために必要なこと。

これまでの自分の選択が、正しかったか間違えてたか。過去を振り返り考えることが少なからずあると思う。

先日、とある方の採用面接を通して、この”選択”という行為について、大きな考え方の違いとその違いを生んでいる原因について、少し気づきがあったのでNoteに書いてみた。


みんな毎日いろいろな選択をしていると思う。

意識している選択もあれば、意識しない選択もあるだろう。この選択という行為を意思決定に置きなおして言うと、実に人は一日に平均35,000回の意思決定をしていると言われている。

このすべての意思決定。つまり選択を、ひとつひとつ覚えてはいないと思うが、自分に影響のある大きな選択をした場合においては、「その選択は正しかったのか?間違えていたのか?」と振り返ることもあるのではないだろうか。

さて今回は、採用面接時の気づきとして、この”選択”をテーマにNoteを書いているわけだが、採用面接の際に以下のような質問を投げかけられた。

大野さんは、
自分の選択にどのようにして自信を持っていますか?

この質問にすごい違和感を覚えた。

私は、選択というもの自身には、Aを選択しようがBを選択しようが、その選択自身に大きな正誤というものは無いケースの方が多いと思っている。

もし大きな差がある場合は、瞬間的にAかBかの判断が付く。判断が付かない場合は、①その差が軽微であるか、②その選択に対して知識がない(また情報が少ない)かのどちらかだと思う。

②の場合は情報収集をすれば正しい選択はできるが、今回のテーマの正誤の問題となるのは①の場合。

①の場合は、どこまで情報を収集したところで、その差が軽微であることには変わりなく、選択に自信が持てない。この場合どのようにして選択に自信を持つのか?

それは、
選択した方が正しかったと言えるように行動することだと思う。

選択の本質で1番重要なことは、その選択をしたことが正しかったと言えるその後の行動だと思っている。

これは精神論ではなく、そういう認識で行動することが、自分で自身の人生をコントロールできる人生を歩むことに繋がり、自分自身の人生を豊かにすると考えている。

けど今、目の前にいる人は、なぜ正誤に拘るのか?を考えたときに、
ハッと気づかされた。

これって、ひょっとすると、
学校教育の過程で、正しい選択をする教育を受けた結果、
しいて言うと、間違えない選択をする教育を受けた結果、

なのではないか?って。

学校教育において、昔は記述式であったり論述式であったり、自分自身の考えを書いたり表現したりすることが多かったように思う。しかし今は、学校教育のあり方も、正誤を問う選択肢形式みたいなものが増えている。特に試験や受験などの、人生をある程度左右する場面において、特に。

そうなると選択をするという行為に対して、知らず知らずのうちに、正しい選択をすること、間違えない選択をすることに、神経質になっていき、それらが非常に重要であることとして頭に刷り込まれていく。

その結果として社会の出ると、自分の選択が正しかったかまた間違えているかにフォーカスを当てがちになり、選択自身が正しくなるように行動することにはフォーカスが当たらない。

しかし長い人生において大切なのは、自分がした選択が正しいものであったといえるようにするための行動だと思う。

全ての学校教育がそのようになっているとは思わないが、過度に正誤を問う教育を行うことで、良い意味で道から外れたり挑戦したりする若者が減り、選択の正誤に執着した、頭でっかちな人を生んでいるのではないかと感じた。

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