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推しが既婚者でした。
忘れもしない2024年4月4日、ついに順番が回ってきた。私の推しは既婚者だった。
このnoteには私の身に起こった悲劇とその後について書いていこうと思う。このnoteが推しが結婚した、流出した等々似たような境遇に置かれた人の救いになれることを願う。
報道
まだ冬の寒さが残る朝のことだった。寝起きのボヤけた視界でスマホを見る。友人から「生きてる?」のメッセージ。背筋がスーッと冷えるのを感じる。血の気が引くとはまさにこのことだった。
友人からのメッセージに返信することを忘れ、震える手でXを開くと少し小柄な女性と横並びで歩く彼の写真。普段はセンター分けでなかなか前髪を作ってくれなかったくせにこういう時に限って前髪アリで、なかなか好みのビジュだななんて呑気な思考がよぎる。
怖くて記事は開けなかった。記事を開いてしまったら、週刊誌にお金が入るなんて噂を聞くし何より文字を読んでしまったら、報道の内容が自分の中でより鮮明に解釈されてしまうと思った。見出しだけで大ダメージなのだから、そんなことをするのは自殺行為だろう。ちなみにこの記事の内容は今も読めていない。
その後
目を閉じればさっき見たツーショットと「結婚していた!」の見出しが瞼に浮かんできて、心を抉ってくるから自然に寝落ちしてしまうまで眠れなかった。
幸か不幸か次の日は休み。傷心したままバイトに行かなくても済んで嬉しいような、気を紛らわすためにも働いていたような不思議な気持ちだった。
今まで傷ついた時には、彼を見て「明日も頑張ろう」と元気を出していた。そうやって生きてきた。それなのに今はその元気の源が、私の傷口の原因なのだから困ったものだ。
結局、私はこの痛みに耐えられなかった。時間が経って冷静さを取り戻していくのと同時に、彼への熱もすっかり冷めてしまった。宝物だった雑誌や写真集やDVDは部屋の飾りへ変わり、毎週欠かさず聴いて逐一メモを取っていたラジオは聴きもしなくなった。所詮人の愛なんてこんなものだろうか。なんだか呆気ない。
私の頭の中
ショックだった、悲しかった、悔しかったし、許せないと思った。何より自分が惨めに思えた。
私が文字通り必死にチケットをゲットして見に行ったイベントの日も、ラジオで初めてメールが読まれて舞い上がった夜も、彼には愛する人がいてこれからもその人と幸せな暮らしを享受していく。この事実が本当に辛かった。もうすぐ報道から1年経つが、今でもズキッとくる。別に自分にワンチャンあるかもとか、本気で結婚できるかもとかそんなことを考えていたわけではないし、いつかこんな日が来ることも薄々察してはいた。でもそのことに気づかないふりをして、永遠にファンでいると確信していた。ファンでいたいと願っていた。もちろんこの報道の後も変わらず彼を応援している人は沢山いるし、これからも新しいファンを沢山つけていくのだろう。しかし、私は違う。そんなの無理だ。なんだか私の使ったお金や時間や愛が見ず知らずの女の人に彼を介して流れ出していってしまうような感じがするからだ。そんなの寂しいし、悔しい。
終わりに
過去を振り返ってみて思うのは、とにかく時間が経つのを待つしかないということだ。酷なことを言うようだが、そうするしかこの痛みを消すことはできなかった。逆に言えば、いずれその傷は癒えるのだ。今は一晩が永遠に感じられるほど長く、世界は色を失い、生きる意味などないと思うかもしれないが、必ず過去の出来事になる日がやってくる。どうかその日まで生き抜いてほしい。このnoteが失恋の痛みに悶えるあなたを一瞬でも支えることができたなら幸いだ。