「創る=自傷」のように
私は文字を書くことや、絵を描くこと、他にも写真を撮ったり、粘土をこねて何かを作ったり……とにかく「創る」ことが他の人よりは好きだと思う。
これはずっと小さいころからで、忙しくなったのを言い訳に以前よりは明らかに創る量は減ったけれど、相変わらず創り続けている。
今は無理のない範囲だけれど、昔は寝食を惜しんで創っていた。
それは今考えると、私なりの自傷行為だったのだと思う。
昔から父の酒癖や、母との折り合いで悩んでいた。だけれどどうしていいかわからなかった。
だからずっと作り続けた。別に誰かに認められたいとかという気持ちはその時なかったと思う。今は多少なりとも褒められると嬉しいなと思うけれど、昔はそんなに嬉しくもなく、ただ淡々と作っては作品を捨てていた。
今考えると、どうしてそんなにも作っていたんだろうと思う。もちろん、創ることは好きだ。とても楽しい。
だけれど、あの時は楽しい以外の感情だったと思う。
高校の時に心がパンクしてしまい、リストカットやODをしていた時期があるのだけれど、それと似通った感覚だなと感じていた。
どうしようもなく苦しくて、でも死ぬわけにはいかなくて、ぐるぐるした気持ちの中で自動的に行っていたのが、寝食を惜しむほどの創作だ。
それを考えると、あの時の創作行為は自傷だったのではないか。
眠い目をこすって、お腹も鳴る中、絵を描き続ける。
そうしていないと苦しかったのだ。ただただあの時は苦しかった。だから私は描き続けた。
だけれど、今は楽しい気持ちで、楽な気持ちで、物が創れている。
ようやく、自傷行為的な創作活動から卒業できたんだとほっとする。またいつか、その行動に舞い戻ることもあるかもしれないけれど、でも今は創っていても眠ければ眠り、お腹がすいたら食事をするくらいの活動になっている。
創ることは楽しいことなんだと、今になって改めて思える。
自分を傷つけるほどにものを創るというのは、とてもきついことだなと思う。
今はまるで呼吸するかのように、自然に、楽に、思い立った時にものが創れていることに喜びを感じる。
さあ、今日も何かを創りだそう。