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自律分散の素養を伸ばす3つの要素
自律分散というのは、個々がその全体の目的と意義を感じて自ずから行動することを言うのであって、それぞれが単に自らの意思や判断だけで行動することではありません。
論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」とありますが、自律分散というからには、そこに調和がもたらされている必要がある(調和は自律分散の必要条件)と言えます。
多数の法律が、屢々(しばしば)犯罪の口実を与えるが如く、法律がどんなに少なくても、よく守られれば、国家はずっとよく治まる
とりわけ天然資源の乏しい日本のものづくりにおいては、誰かと同じことだけをやればよいのではなく、社会の目的と意義を感じながら、独創性のある個性豊かなものづくりを展開することが求められています。
そんな自律分散型の人材を育む大学教育において、大切にしている3つの要素について述べたいと思います。
その1:大切な基礎力
自律分散の必要条件として「調和」ということを述べました。仮に、個々がそれぞれの意思や判断で行動していながら、調和がもたらされていないのであれば、そこに必要なのは「統制」です。
統制を取るためには中央集権化が必要であり、各自はその統制のもとに自己の役割を全うすることが求められます。基礎力とは、この自己の役割をきちんと果たすことのできる力のことを言います。
自己の役割を十分に担うことができないような状況下では、自分以外の誰かや、ましてや組織全体のことにまで目を向けることはできません。
スポーツチームでも、子どものうちは絶対的な指導者がいて然るべきです。それがだんだんと成長するにつれて、少しずつ間合いを取る範囲が広がっていきます。
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はじめから自律分散ということはないのです。機が熟すまでは、まずは基礎力です。
その2:コミュニケーション
「調和」は、単独で成すものではなく、複数の個と個とのあいだや関係において成されることであるため、コミュニケーションは重要です。
コミュニケーションとは意思疎通を図ることですが、ともすれば「どんな言葉を発するのか」のみに注目されがちです。私たちは言葉以前に、実に多くのことを伝え合い、また感じ合っています。
何を言うかより前に、私たちの1つ1つの行動、その一挙手一投足のすべてがコミュニケーションであることを自覚することが大切です。
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「コミュニケーションを取る」とは、何も「会話をしましょう」とだけ言っているのではありません。適切な時に適切なだけ、言いすぎず言わなさすぎない。
コミュニケーション力とは、作法(基礎)に基づいてこの間合いを実践する応用力のことであり、人と人との間に調和を育む力でもあります。
その3:自分軸の確立
「自律」は「自立」とは異なります。「自立」は、他人の助けを借りずに自分だけの力で行うことであるのに対して、「自律」は物事の価値基準が自分にあるということを言います。
自律分散とは、一人一人、考え方が異なっていながらも調和を生む「和して同ぜず」というありようです。
そのためには、自己自身を戒める軸となるものを確立する必要がありますが、またそれは他者の自分軸を認めるものでなければなりません。夏目漱石の「私の個人主義」と同じ意味です。
ここがややこしいのですが、この確立すべき自分軸の「自分」というのは、小我(自我)のことではなく、大我のことを言います。
![大我と小我](https://assets.st-note.com/img/1728476352-me5qxQ2SfUiVpWlKuZMh0JFt.png?width=1200)
身勝手に自分のマイルールを設け、わがまま放題をするのではなく、大我とは人と人とのあいだを生きる自己のことですから、そのマイルールは極めて社会性を帯びたものになります。
自己は環境によって変化するとともに、その環境は自己のありようによって変化します。その自己と環境とのあいだを生きる大我は、もはや自分だけの自己ではないため、他の人々や社会と切り離すことができません。
軸となる自己の価値基準は身勝手に決めるのでも、誰かに決めてもらうのでもありません。基礎力がなければ誰かに決めてもらうより仕方がないでしょう。
しかし、基礎力を身につけたならば、またコミュニケーション力により調和を育む力があるならば、誰よりも自己自身と向き合い、その人なりの高尚な価値基準に則って生きることが望ましい。なぜならば、そのような生き方はその人のためでも、誰かのためにも、社会のためにもなるからです。
自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、チームのために、なんて言うヤツは言い訳するからね。
また、この自分軸の確立を促すプロの言葉があります。
指揮者にとって恐ろしいのは、指揮のしすぎなのです。
演奏者一人一人を全くの自由にすることが指揮者の役目なんです。
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自律分散の織りなすハーモニーがいかに素晴らしいか、それは指揮者の想像の域を遥かに超えているということです。
「大切なものほど見えない」と考えていますが、その金脈は何か日常を飛び越えた外の世界に見出すのではなく、自己自身や日々の日常において開発されるべきものなのです。
あいだを生きる自律分散の喜び
自律分散に生きれば生きるほど、何を行うにせよ、それが相手のためなのか自分のためなのか、区別がつかなくなってきます。ゴミを拾う、席を譲る、手伝いをするなどの利他の行動が取りも直さず自分のためだと思えるようになります。
それによって大きなエネルギーを得ることができるからです。
誰かを元気づけることによって受け取るエネルギーがあり、誰かをゆるすことによって温まるものがあり、誰かの幸せに寄与することによって得られる幸福感は、お金では買えない価値がある。
与えることのエネルギーは、金銭の対価として手っ取り早く得られるものよりもはるかに大きく深淵です。それこそが、資源の乏しい我が国が利用すべきエネルギーなのです。
私の役目はまずこの莫大なエネルギー源のありかをわかりやすく伝えること、次にそのエネルギーを扱うための作法を提供し、日常の社会生活を整えていくことです。
そして、自律的に生きる喜びを実践できる組織を醸成することで、どんなことが起こっても、明るく、元気に、しなやかに、営むことのできる安心安全な社会を皆さんとともに創り上げていきたいと思います。
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