タグライン再びのお話。
ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
007
コーポレートスローガンとは、なんぞや?
という話を前回して、
私が書く文章でのキャッチコピーとは、
『広告主の簡潔な主義主張の広告文。』
と定義させていただきました。
と言うことは、タグラインの定義もこれでいい、ともいかないのか?
大きなくくりで言えば、中らずと雖も遠からず。
間違いなんて言われないよ、絶対。だと思う。
英国圏では、ずいぶん昔から
ヘッドライン(headline)を広告などの目立つ位置の大きな文字と、
タグライン(tagline)をロゴの近くにある小さな文字として共に昔から使われていた言葉みたいで、そこから語学が万能な人たちが用い始めたのかもしれない。
いまの(2022年)日本の時代背景的に、
主義主張という言葉自体が合っていないような気がする。
個人的な感想なのだけれど、
タグラインと呼ばれているものからはそういう主張的なもの(他に認めさせようとして、強く言い張る*1)は感じとれない。
コーポレートスローガンと呼ばれるものにも、主張的なものが多いかと言われれば、多いとも言えるし多くないとも言える。のだけれど、だからこそ、そことの一線を引きたいのかもしれない。
何より聞きなれない言葉は、新しいという「価値」がプラスされるから。
*1:主張
さてそうなってくると、
『広告主の簡潔な主義主張の広告文。』
という定義は、やや違ってくる。
まず、主張をいまの時代に合った意味合いにかえるとすれば、どんな言葉がいいだろう。
認めさせようとして強く言い張るみたいな強引な感じではなく、
「私たちの主義を聞いて」みたいな言葉だと思う。
そう考えると、「伝える」がしっくりとくる。
続いて、主義をいまの時代に合った意味合いにかえてみよう。
意味としては全く異論はないのだけれど、言葉としての感じ・イメージがどうしても硬い。硬くて何がわるいとも思うけど、ダイヤモンドが地球上でいちばん硬いと教えられた。でもホントにそうなのか?調べもしていないからそうなのかな?とも思ったりするが、もう主義がそれくらい硬そうだから、もう少し柔らかくというか、リラックスした感じのほうがしっくりときそうだ。しっくりとこなければ主義という硬さを借りることにしよう。そこは考えてからでいいじゃないか。
考えて考えて変えませんでした。でいいじゃないか、と思う。
考え・方針・態度は内面的なもので、価値とか・・・んーちょっと違うか。もう少し大きくとらえる言葉、「思い」なんかはどうだろう。
うん、意味もいい感じだと思う、ちょっとはめ込んでみよう。
広告主の簡潔な思い伝える広告文。
だいぶと現在風になってきた。
ところで、藤井風氏のことを、藤井風(ふじいふう)とナポリ風やアメカジ風のような藤井氏みたいな感じと思っていた話は全く関係がない。ここでは関係ないのだ。でもいつか誰かに話をしたかったので思い切って、思いを伝えてみた。
続いて、簡潔はどうだろう。
こちらも、意味としては全く異論はない。異論はない。でも考えてみよう。
感じもイメージは、ややちょっぴりほんのすこーし硬い気もする。
柔らかくする感じの言葉だと、
「短い」はどうだ?
短いだと柔らかくはなるが、タグラインとしての意味合いが少し変わってくるね。
「端的」だとどうだろう?
こちらも、意味合いが少し変わってくるね。
と言うことは、簡潔はこのまま使うことにしよう。
広告主の簡潔な思い伝える広告文。
だいぶスマートにスマホっぽくなってきた。誰もスマホぽくするとは言っていないが、ガラケーとスマホが同じ携帯電話なのに全く違うものと重ねてみたのだ。
そして完全なるスマホにするために、少し読みやすくして、
私が書く文章でのタグラインとは、こう定義する。
『広告主の思いを簡潔に伝える広告文。』
であります。
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