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#5【小説】「アルジャーノンに花束を」ネタバレあり感想

※ネタバレ無し感想はこちら

こちらのページは自分の体験とチャーリーを重ね合わせながら感想を書き綴っている。


感想まとめ:

別視点から自分を観察しているような気分に時々させられた。
特に、憎しみ・孤独の観点で共感できる部分が多かった。
人は、ネガティブな部分で共感できた場合、より深く感情移入してしまうのだと私は思う。
そして、今回はばっちりその例に当てはまっている。
だからこそ、ラストで涙なしに見られなかった。
悲しい物語ではあるが、この本に出会えてよかったと心の底から思う。

次から
①共感できた点
②チャーリーは最後幸せだったのか?
③チャーリーの最後の報告書
について詳しく書く。

共感できた点

真実に気づく

少し私の話をする。

私の小さい頃に「すごい」と尊敬できていた人は、
大人になると、大したことがなかった。

むしろ無知なのにテキトーなことを言っていたのだとわかってしまい、失望し、悲しくもなった。

また、それだけでなく、小さい頃の無知な私を騙そうとしていたのかと気づいてしまい、とても嫌な気持ちになることがあった。

チャーリーも、周囲の知性があるように見える人を尊敬していた(大学教授、学生、先生など)。しかし、自分が天才になるにつれて尊敬していた人が実は馬鹿なことを言っていることに気付き、失望する。
それだけでなく、実はチャーリーは職場の同僚に馬鹿にされていたことにも気づく。

知性が生長していく過程で真実に気づき、失望、憎しみを感じるという点で共感したことになる。

ただし、全社のような無知なのにテキトーなことを言っている大人は、必ずしも悪意があるわけではなく、無知ながらも一生懸命にやろうとしていただけであるため、恨むほどでもないのだと精神が成熟した今では思っている。

孤独

また、私の昔の話をする。

私は、高校~大学で一生懸命勉強した。
理由は3つ。
 ①純粋に科学が面白かった 
 ②研究職につきたかった 
 ③奨学金のために良い成績が必要だった
しかし、勉強を一生懸命するということに理解を示してくれる人は多くなかった。

そして次のことが順番に起こった
 1:自分をわかってくれない、わかってくれようともしない人が多いことに気付く
 2:自分の大切にしている「勉強」を奪おうとしてくる人がいることに気付く
 3:周りから友達が少なくなっていく。いや、むしろ自分から避け始める。
 4:大学で自分を利用してくる奴に気付く。嫌な気分になる。
 5:さらに自分から避けて、友達が減る。
 6:表面的に話す人はいるが、付き合いをする友人は数人のみ残る。
  (数人の友人が残っただけ、幸せである)

昔の自分と比べると、明らかに友好関係が縮小した。
昔の方が友達と心置きなく遊べて楽しかった。戻りたいと思うこともある。
でも、今大切にしているものは、絶対に手放したくない。

昔の無垢な自分が、本当の自分の姿なのか?
それが、私の求める幸せの状態なのか?

小説内では、明に書かれていなかったが、手術の効果が表れているチャーリーの姿と苦悩を見ていると、自分の本当の姿は?幸せは?と問うているように思えた。

「うん、うん。その苦悩すごくわかるよ。チャーリー」
と言いたい。

チャーリーは最後幸せだったのか?

結論:望んでいた通りではないため理想の幸せではないが、良い選択をしたと感じている。

チャーリーは、大きく2つの願望を持っていたと思う。
今回はバッサリ、この2つが叶ったか?で判断してみようと思う。

①賢くなりたい。
②みんなに好かれたい。

①は、「母に好かれたい」、「賢くなったら良いことがある」と思っていたためである。
②は、知的障害のままでも既に獲得できていたと思う。

物語中盤では、手術で天才になることで①は達成できたが、②を失ってしまった。
一方、物語の最後では、白痴に戻って①を失ってしまった。
その際に、②を取り戻したか?である。

最後はウォレンに行ってしまうので、ベイカリー等の人間関係を失ってしまっている。
またウォレンでは、外の世界のように一般の人がいない為、手術を受ける前ほどみんなに守ってもらったり、優しくしてもらったりされることが少なくなるだろうと予想される。

そう思うと、②も失われてしまったように感じられた。
(少なくとも以前よりも減少しているはずだ)

そのため、チャーリーは幸せではなかったと思われる。

しかし、チャーリーは最後の報告書でこのように書いている。

ぼくはりこうになるための二度目のきかいをあたえてもらたことをうれしくおもています、、、ほんのちょとのあいだだけれどそれがみれてよかたとおもているのです。

アルジャーノンに花束を

つまり、チャレンジして最後は白痴に戻って失ってしまったけれど、
チャーリー自身としては、短い知性を持った期間の苦悩と、失った今の状況すら受け入れていて、感謝しているということである。

チャーリー願いが叶ったわけではないが、
今までの生活がそのまま続いていたら、絶対に体験できなかったことに感謝をし、手術を受けるという良い選択をしたのだと考えているように私は思っている。

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