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川内村の天山文庫。草野心平さんが愛した庵。
「かえるの詩人」として知られる草野心平。生まれはいわきだが、川内に惹かれ幾度も村を訪ねていたという。そんな彼のために村民が建材を持ち寄って建てたのが天山文庫だ。
しかし、そんなふうに建てられたとはまるで思えない見応えある建築だった。今のガラス窓はすべて開放できるように作られており、庭の緑が柱に邪魔されることなく目に映る。よく磨かれた床板にその緑が写りこみ、室内にまで木漏れ陽が届くかのような柔らかな輝きに包まれる。
「古民家のように思われるけれど、とてもモダンな建築なんです」と資料館の方が教えてくれた。確かにこの窓といい、二階に吹き抜けた居間の作りといい、和風建築と括るにはあまりに洒落ている。二階の藁葺き屋根が切れているところは寝室の窓にあたる場所で、常に庭を見て過ごしたいという心平さんの想いを叶えたものだったそうだ。
玄関を入ってすぐのところは書庫のスペースがある。かつてここは村の図書館的役割も果たしていたという。そして、祭りの日にはこの前の庭に200人も300人も集まるのだという。心平さんを中心に街と街の文化が育まれたのが昭和の川内村の姿だったことが、資料館の方の解説の端々から感じ取れる。
まちの豊かさはまちの大きさに比例しない。都会的な豊かさには中毒性があって、一見すべてを満たすもののように見えるけれど、不便さや物足りなさの中にある豊かさに気づく触覚をへし折ってしまう。
草野心平さんは亡くなるほんの少し前に「天山に行きたい」と言って、病を押してここに滞在したそうだ。カエルの詩人はもしかしたら自らを土に還そうと考えたのかなと、窓の外に広がる青々とした庭を眺めながらふと思った。
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![髙橋晃浩](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10623052/profile_ad36feaeeb8570cf208036067b224df6.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)