親子アート体験
「僕この話知ってるよ」
春休みの午後。
子供の用事。
春の親子アート体験に出かけるために運転していた車内のナビで放送されていた。
『裸の王様』
有名な童話。
イソップかアンデルセンか知らないけど、世界の童話集に必ず掲載されている。
詐欺師が王様に『愚か者には見えない生地です』と虚偽の申告をし服など無いのに、あたかも最高級の生地を纏っているかの如く嘯いて裸でパレードをさせる。誰もが王様が裸と言えない中で、唯一子供だけが王様が裸だと叫び、王様は赤っ恥をかく。そんな話。
一国の最高権力者である王様に盛大な詐欺を働きこの上ない恥をかかせた犯罪者達は一体どんな凄惨な制裁が待ち受けてるんだろうかと考えたのはきっと、午前中に読んだ闇金ウシジマくんの影響のせいかもしれない。王様だからベルセルク的展開な拷問幽閉一族郎党全員処刑の方かもしれない。
どちらにしても御免被りまするだ。
私は善良な小市民を全う致しますです候。
人を騙すとそれ相応の報いを受けるってのも大事な教訓だと思うけどそこは物語から端折られてる。
「本当は布なんか無いのに、自分を馬鹿だと思われたくないから見える振りするなんて馬鹿馬鹿しいよね」
頭の中で凄惨な罰を受ける詐欺師に思いを馳せつつ一方で、その童話から得られる教訓的なものに子供を誘導しようと試みたりした。
会場についた。
アクリル絵の具制作。
テーブルや床には、ビニールが敷き詰めらていて、会場を汚さないようにつつがなく効率よく運営しようという配慮行き届いてるように見えた。
なんとなく嫌な予感がする。
片付けやすい、汚れないようにそう意図され準備した状態を一切気にかけずに汚す壊す。そういうことを幾度となく繰り返している人間が今横にいる。
自分の子供を見つめる眼差しが一度浮気した夫を懐疑的な眼差しで見つめる妻のように意地の悪いものに変化していく。成長を見守る母親から少しづつ様相を変えているその変化への自覚はあった。そういう自覚がある事とその振る舞いを止める事はイコールではないようで、私は疑惑を裏付けるための証拠集めに一挙手一投足に目を凝らすサレ妻のような心持ちで息子を眺める事をやめなかった。
子供が成功体験を積み重ねられるように。そう頭で分かっている。なるべく全力で応援したいと思っている自分がいる一方で積み重なるささいな不手際に少しずつ自分の中の余裕が無くなっていく。押しつぶされそうなその余裕の無い心が、気付けば自分を被害者の位置に置いて相手の不手際を追及しようとする事を正当化していく。
ふむふむ理屈はよく分かる。
わかっているけどやめられない止まらない。
某スナック菓子のキャッチコピーのようだ。
早速注意事項を破ろうとしている子供への語気が強まる。
パブロフの犬のように一度獲得した被害者属性を子供相手に押し付けようとしている。
優しくなれない時も。優しくされたいときも。
初恋クレイジーよ優しくなれない時が長すぎるんだがどうしましょ。
でも私、子供に付き添って鉄道模型展示会場に2時間以上くらい居たよ。
全然興味無いのにも関わらず、そんな無駄な忍耐力は発揮できるけど、細かい粗相の後始末が苦手分野なだけなんだ。
愛情の出しどころエネルギーの出しどころ。
そこに蓄積されている量は、個人差が大きいんだよ。
自分のあまり優しくない物言いに心の中で言い訳をする。
用意されたキャンパスは小さいのであっという間に完成した。
私の住んでいる地域は子供と参加するイベントが比較的多い地域ではないかと思う。
これからはもう少し、参加するイベントを厳選しよう。
お互いのために。
ここまではしてあげられるけどこれ以上はちょっと無理よ。
そんな妥協点をただただ探っているような子育だ。
人との関係なんて夫婦も親子もそんなもんかもね。
結局褒めると叱るの割合50/50くらいのイベントを終えた。
子供の成長曲線が私の想定とは違っているようだけど。
そのことにいら立つことが多いけど。
子供の現状に合わせて修正すればきっとなんとかなるさ。
なんとかなるよ。
優しくできない時だってあるんだよ。