13:病的になった離人感
マガジン「人の形を手に入れるまで」の13話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。
父と母の個人としての成り立ち、そして2人の夫婦としての成り立ち。それらを知れば知るほど、私は混乱していった。当時私はまだ大学生で、まだあまり世間や多様な価値観を知らなかったのも災いしただろう。
望まれた役目を果たせていない。純粋に望まれた存在ではない。それらの事実をいろんな事情と共に理解するのは簡単だけれど、それを自身が納得できる形に落とし込めない。当時の私はそこまで内面が追いつかなかった。
私は自分の混乱を知覚していた。そもそも私の心と理屈は元から離れ離れで、現実はどこか遠い水面の向こう側にある。そんな感覚の中生きてきた私のなかにはもう1人、「冷えた頭の私」がいた。
「私」は、多くの現実や多くの事情を知れば、私にできる何かが見つかるのではないかと思っていた。そして「それ」をすれば、この遠く離れた現実感を手繰り寄せ、私は私の人生のコントロール権を手にできるのではとさえ思っていた。
ところがどうだ。知れば知るほど手詰まりになる。私自身はますますコントロールを失っていく。そこに現実があることを知っているのに、何一つ自分の感覚として知覚できない。自分の息や、話し声でさえ遠い向こう側に聞こえる。
分かった事は、私のせいで起こった「歪」が何1つない事だった。私が生まれる前から、すでに多くの人間性と関係性は歪だったのだ。私の「過適応」と「離人感」はその枝葉の末端。私1人が足掻いたところでどうしようもない程、歪な土台の上に歪んだブロックが積み上がっている。
そしてある日、私の処理は限界を迎えた。あれは確か、大学の2年、そして3年の頃だったと思う。それは、私に突然知らされた友人の訃報がきっかけだった。
それぞれに、遊びに出掛けたり悩みを相談したりしていた友人だった。1人は大量服薬による事故死、もう1人は練炭自殺。私に、『辛いときは話を聞くよ、一緒に過ごしたら気が楽になるよ』とよく話してくれた優しい子たちだった。
「冷えた頭の私」はこの負荷に折れた。自分の価値もわからない、自分に寄り添ってくれた人も失った。身勝手にも「私を置いて逃げた」とさえ思った。
「私」の持っていた「理想的をなぞる」機能は失われて、残されたのは酷く不安定な私だ。感情の処理の仕方がわからない。理想的な悲しみ方がわからない。悔しく、苦しく、空虚で、私を虐めた人全てを殴って回りたいほどの衝動性が突然湧いた。でもその激情でさえ、突如遥か向こうから眺める私の視点に切り替わるのだ。
私の日常は狂ってしまった。ちなみに、コントロールを失った感情に振り回される生活はここから5年ほど続く。その間は、病院に通ったり、セルフヘルプグループを探したりと模索したが、霞の向こうのような記憶で時系列がイマイチはっきりとしない。なので、少し読みにくいかも知れないけれど、次の話からは当時のエピソードについて順不同で記載していきたいと思う。