「施設介護は可哀想」と思う家族にこそ、施設入所を勧めたい:その1[PSWの福祉コラム]
想定しているのは最悪の事態
初めに前置きをしておきます。このコラムは、『是非みんな施設入所しようよ!』と誘うものではありません。在宅介護は大変だけど、大切な家族と最後まで過ごせる良さがあります。
しかし、在宅介護に追われて介護者が余裕を無くし、被介護者に危害を加えてしまう…そう言った話もよく聞かれるではありませんか。
「施設=家を追い出される」と言う図式の高齢者は、私が支援している中でも結構いらっしゃいました。彼らは、言い方は悪いですが、「まさか家族が私に危害を加えるわけがない」と思っているのですね。それは幸せな思い込みだと私は声を大にして言いたい。それは、私の体験として語ることができます。
※今回の記事は二本立てです。1本目は「在宅介護の最悪の結末」に至ったケースの話、2本目はそのケース分析をしながら施設入所について書いていきます。
私の観測した「在宅介護」
これは私の祖母の話です。享年は80代後半。祖母は自宅で脳死となり緊急搬送、その2日後息を引き取りました。
死因は絞首。介護者であった長男…私の伯父が、祖父と伯母が席を外したほんの30分程の時間で事件を起こしたのでした。
祖母という人柄と病状について
私の祖母は、もともとはお武家さまのお家柄。日本舞踊、花道などの教育を受けたいわゆるお嬢様育ちで、祖父との結婚後に4人の子供に恵まれました。
しかし、4人目を身篭っている最中に祖父が情婦と蒸発。祖母は幼い子供3人を連れ、酒場で日銭を稼ぐ暮らしを余儀なくされたと言います。
祖父はしばらくして家に何事もなかった様に戻って来たそうですが、その蒸発していた期間に募った恨みは祖母の中で静かにくすぶっていたのでしょう。
70歳頃、祖母はアルツハイマー型認知症を発症。認知症の周辺症状として、「被害妄想」「徘徊」「攻撃性の向上」が顕著に現れます。祖父の情婦が近くに住んでいると騒ぎ、夫を出せと隣家に包丁を持って乗り込んだり、祖父の姿が見えなければ今はない酒場街の名前を告げてタクシーを呼びつけました。介護者の長男夫婦にも、祖父の味方をして育ててやった恩を仇で返すと怒鳴りつけていたと言います。
初めての精神科入院
伯父夫婦は毎日祖父母の家に通ってデイサービスに祖母を送り出し、祖母の病状が悪い時は祖父をビジネスホテルに逃し、献身的に在宅介護をしていました。
しかし祖母は強烈な被害妄想と強い攻撃性を持っていました。ある日隣家が騒ぐ祖母を恐れて警察を呼び、祖母は「他害の恐れ有り」と判断されます。その後警察は祖母の身柄を確保、そのまま認知症対応の精神病院に入院したのでした。
施設では無いにしても、やっと入所環境に置けてほっとしたのも束の間。入院から2ヶ月後、入院に同意した「同意者」である伯父がその同意を取り下げてしまったのです。
祖母を退院させた伯父の思い
退院時、措置入院が適応されるほど祖母の病状は悪くありませんでした。伯父が同意を取り下げたことで、病院は入院継続の根拠を失ってしまいました。祖母を退院させるほかありません。
伯父は同意を取り下げた理由について、その時の祖母を「かわいそうだ」と思ったからと話しています。
面会に行くたび、しおらしく「こんなところで寂しい」ともらす祖母。これだけ大人しく自分たちと話せるのなら、入院なんてさせなくてもよかったのでは?そう感じたのでしょう。
しかし、自宅に連れ帰れば祖母は元どおり。認知症なのですから、なぜ入院に至ったかは本人覚えておりませんし、例え覚えていたとしても「自分に原因がある」とは内省できないでしょう。
ただ祖母の中には、「病院に入れられた」不快感、「家から追い出される」不安感だけが残り、それがその後の介護認定時のひどい苦労に繋がるのです。
上がらなかった介護度
精神病院からの退院後、祖母の日常はデイサービスとデイケアを利用しながらの在宅介護に戻りました。ただ、祖母の認知症は進み問題行動は悪化。祖父との暮らしは日に日に難しくなり、本格的に祖母を施設入所させる話が進みました。
施設入所をするためには、介護認定調査で「要介護」と認められなければなりません。しかし、前述したように祖母はお武家さまの家の出。基本的にとても上品な人で、来客のおもてなしにはいつでも余念がありません。
介護認定員が来ると、「お客様用の茶葉は別の所よ」とお茶を入れ直してお茶菓子を出し、世間話に興じます。認知症のため短期記憶が失われているので、生活能力を聞く質問には「もちろん毎日料理はしますよ、何年も続けてることですなんの心配もありません」と返します。
施設に入る話が出れば、「家できちんと生活できる人がそんなところに行っては他に困る人が出るでしょう?私は大丈夫ですよ」と一笑に伏す始末。
結果的に、祖母は施設入所要件である「要介護認定」を得ることはできませんでした。認定不服を申し立てて、もう一度介護認定をやり直してもらうのですがそれも不発に終わります。
結局、祖母は最後まで「要支援」のままでした。普段は両手に杖をつかなければ歩けなくても、火にかけた鍋が焦げて出火しボヤ騒ぎを起こしても、隣家に包丁を持ち込んで騒いでも、施設入所に必要な「要介護」認定を得ることができませんでした。
この状況で「絶望するな」という方が無理だろうと私は思います。介護疲れが蓄積した伯父の理性は決壊。冒頭の事件へと繋がるのです。
※その2に続きます