5:侵食される人の形
マガジン「人の形を手に入れるまで」の5話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。
私の父は俗に言う転勤族だった。どれくらいの引っ越し頻度だったかと言えば、私が生まれてからの5年で2回。
赤ちゃんの頃には兵庫、保育園の頃には千葉、幼稚園に上がる頃にはまた違う千葉のエリア。
友達ができてもすぐに会えなくなるのが当たり前で、私は小学1年生にして友達と距離を置く子供に育った。
小学2年生になる年、私が生まれて7年目。3回目の引越しで、私達家族は九州のとある田舎町に引っ越すことになった。
そこはよくある田舎町だった。よくドラマで見る、よそ者を嫌うステレオタイプの田舎町だ。本州からやってきた私はただそれだけでいじめの標的になってしまった。
「すました言葉遣いでバカにしちょる」「東京者にはこんな田舎の空気はあわんじゃろ」毎日そんな暴言を吐かれ続けた。
毎日は苦痛だった。でも苦痛の顔をすれば、同級生はまた「東京者は打たれ弱い」と嘲笑ってくるだろう。擬態しなければ。この町に馴染まなければ。
「馬鹿にしてないよ、こんな喋り方なんだよ」「おしえてよ、それ何ていうの?」虐められる以上にグイグイこちらから関わりに行けば、同級生たちはそのうち気味悪がって距離を置いた。
万々歳だ。私はどこのグループにも属さなかったけれど、どうせいなくなる町。それでちょうど良かった。
母が「学校はどう?」と聞いてくる。毎日は苦痛だったけど、いろいろ省略して「慣れてきたよ」と話した。
私の話す学校の様子に安心した母は、引っ越す前からもそうであったように父の悪口を言う。私は今まで通りただ子供らしくそれを聞く。
「お父さんがあなたを遊びに連れていくのは、あなたを連れていけば遊び代が家計に請求できるから」
「お父さんはあなたの安全なんて考えてないからきちんと身の回りの安全は自分で確保して」
「お父さんは周りにかっこつける為にあなたを…」
ああ、早くこの悪口が終わればいい。
そして「この町」も早く終わればいい。
ところがそんな思いに反して、その田舎町で私は成人を迎えることになるのだった。