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ボタン恐怖症

どうも、ひかりちゃんです

ボタン恐怖症というのはご存知でしょうか。

医学的な知識は持ち合わせてないし
病院で診断された訳ではないが
個人で調べた限り、どうやら私は
ボタン恐怖症という病を患っている。

集合体恐怖症から派生している
ある一種のものだけに限定して酷い嫌悪感を
抱いてしまう、何とも奇妙な病らしい。

ボタンと言っても私の場合は
リモコン等、機械についているボタンの類は
何ら問題なく触ることも出来る。

衣服に糸で縫い付けてある、2つや4つ
中央に穴の開いている、あれがダメなのだ。

触ることはもちろん、視界に捉えるだけで
口内、舌の先っぽがむず痒くなったり
喉の奥あたりがキュッと締まり、嗚咽が
出てしまいそうになったりと悩みは多々ある

肉体的な異常も然る事ながら、何よりも
精神的な苦痛の方が耐え難い。

一度でも視界に入り、気になってしまうと
考えまいとしても脳内でボタンのことを
考えるのが止まらなくなり、猛烈な不快感
と嫌悪感で体調が悪くなるほどだ。

なので、当然ながらボタンの付いた衣類を
着たり、履いたりすることが出来ない。

私服だとボタンを避けた衣類、
主にTシャツ、パーカー、ジャージを
身に付ければ何も問題はないのだが

学生時代であれば学生服の白シャツ

社会人になるとスーツや
冠婚葬祭の礼服や喪服さえ着れない。

それだけだと、さほど弊害は
ないように感じるが日常生活を送る中で
様々な困難に遭遇することが多々ある。

まず、電車だ。

都内の通勤ラッシュの時間帯
スーツを着たサラリーマンが横にいると

つり革を持つ手の位置が、私の目線と並び
袖の部分についてあるボタンが目に入る。

私が座っていたとしても、目の前に立つ
サラリーマンの片手の袖が目に入るので

混んでいる電車に乗るのは躊躇する。

完全に乗れない訳ではないが
ボタンが視界に入らぬよう目を閉じたり
なるべく他の人と接触しないよう
気にかけて乗るのも、意外と苦労する。

そして職業の選択肢が狭まること

当然、スーツを着ないし着たくない。

そもそもスーツを着るような職種に
就職できるほどの学もないのだが。

建築業で、作業着といっても
普段着のようなゆるやかな服装でも
働けるような職種しか選べない。

そして、冠婚葬祭だ。

数少ない友人が結婚式を行う時
断るわけにもいかず、かといって
スーツ以外で出席するわけにもいかない。

申し訳ないとは思いつつ

断ることも多々あり、それでも
どうしても出席しないといけない場合は
式の直前までスーツを着らずに

ボタンを閉める時はゴム手袋を直用して
更にその上からタオルやビニールを巻いて
手にボタンの感触が残らないようにする。

そこまで厳重な装備をしても

やはり、嫌な感触が手に残った感覚になり
何とも言えない不快感が襲う。
触った手ばかり気になって、気持ち悪さや
無臭なのだが不快な臭いまで漂うような
思い込みが加速して止まらなくなる。

自分なりに原因や克服方法を調べたことがある

ネットで調べた程度だが主な原因は
幼少期、人格が形成される時期に
受けた虐待によるトラウマらしい。

その時に目に映ったボタンが印象に残り続け

過去の苦い記憶=ボタン

として連想する為に恐怖症に陥るらしい。

しかし私の知る限り両親に
虐待された記憶はないし、むしろ
過保護なまでに育てられた記憶しかない。

過去に、私がボタンを触れないことを
不信に思った母も独自に調べたことがあり
自分の育て方が間違ったのかと
酷く後悔したことがあったらしい。

記憶に残る以前、躾と称して手をあげた
ことがあるのかもしれないが
もし、万が一、母が原因なのだとしたら
それはそれで受け入れようと思うし

そんなこと以上に母からの愛情を
受けて育っているのでどうってことないし
たかが数回、手をあげられたことで
恐怖症になるほど私の心は弱くないと思う。

何か他に思い当たることはないか
探した結果、小学2年生の頃から6年生まで
ソフトボール部に所属したことが浮かんだ。

5年間、毎週日曜には早朝から
試合に出向くことが苦痛だった。

試合の時はユニフォームを着用しており
そのユニフォームにはボタンがあった。

毎週のように遠方へ試合に出掛けるのが
何より苦痛だったのだろうと思う。

それに、ソフトボール部の監督が恐かった。

小学2年生の頃から、練習でミスをすると
叩かれたり、延々とグラウンドを走らされたり
苦い記憶が残っている。

昭和の香りが残る田舎町で
児童虐待という言葉も馴染みがない時代

5年間、監督からの日常的な暴力は
苦痛でしかなかったが私以外にも
他の部員も同様に暴力を受けることが
当たり前だったのでおかしいとは思わなかった

私の親や、周りの親も
監督からの暴力行為は知っていたが

田舎特有の同調圧力というか
親同士の付き合いもあっただろうし

毎日、辞めたいと思いながら辞めれなかった。

試合の日、たまに初戦で負けると
狂ったように怒り、暴力を堪えるように
うずくまるとすくいあげるように蹴られた。

家族旅行で県外へ行く日と
試合の日が重なり、どっちを取るかと
問われて旅行に行きたいと言ったなら

骨が軋むほど殴られ続けた。

試合中、肝心な場面で打順が回ってきて
三振や内野ゴロを出してしまうと
ベンチへ戻るとその回が終わるまで怒鳴られ

試合後はひたすら殴られ、蹴られ続けた。

確証はないが、そのような日常的な暴力が
トラウマとなり何故かユニフォームの
ボタンが印象に残り続けているのだと思う。

今更、当時受けた暴力の記憶を払拭する
ことは出来ないだろうし
精神科へ通院した所で、記憶に根付いた
トラウマは残り続けていくと思う。

克服方法は何処も同じだろうし

完全にボタンに対しての嫌悪感を
克服できる保証もない。

今現在、自分なりにボタンを避けた
生活を見つけだし日常生活に支障を
出さない生き方を模索しているので

病院へ通って、過去のトラウマを
引き出してまで克服しようと思わない。

何かと、苦労はするが

今後もボタン恐怖症を受け入れて
少しでも苦手意識を減らしていこうと思う。

それではまた次回

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ちんちくりん
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