ちんちくりん
働けど、働けど 得られる所得は僅かな金額のまま。 少ない所得に頭を悩ませながら 月々の支出を管理し生活するのは ストレスではないでしょうか? もし宝くじに当たったら... 働かずしても得られる収入があったら.... そんな絵空事を浮かべながら 明くる日も明くる日も働き続ける理由は 将来への金銭的な不安や見通しの悪い先々を 少しでも解消する為ではないでしょうか? もし、その不安を今すぐに解消できる方法があるなら...!! そんな方法、あるわけがないじゃないか! そう
どうも、ひかりちゃんです。 お久しぶりです 約1ヶ月ぶりの投稿なので 需要はありませんが近況を報告します。 8月半ばにFXで貯金を全て溶かして以降 9月、10月の2ヶ月間 死に物狂いで仕事をしていました。 仕事以外の時間は極力、お金を使わず というより使えるお金がないので 仕事から帰るとすぐに寝て 生活費や光熱費、 その他の支払いだけ済ませて 45万円ほど貯めました。 そして、残金が再びゼロになりました。 3日間の出来事です。 FX口座に45万円を入金
どうも、ひかりちゃんです ボタン恐怖症というのはご存知でしょうか。 医学的な知識は持ち合わせてないし 病院で診断された訳ではないが 個人で調べた限り、どうやら私は ボタン恐怖症という病を患っている。 集合体恐怖症から派生している ある一種のものだけに限定して酷い嫌悪感を 抱いてしまう、何とも奇妙な病らしい。 ボタンと言っても私の場合は リモコン等、機械についているボタンの類は 何ら問題なく触ることも出来る。 衣服に糸で縫い付けてある、2つや4つ 中央に穴の開いている
どうも、ひかりちゃんです そういえばnoteを始めて1ヶ月近く経つが 自己紹介というのをやっていなかったので 改めて自己紹介させてもらいます。 名前は、ひかりちゃんと称しているが 実名ではない。あだ名でもない。 1995年産まれの25歳、男だ。 長崎県で産まれて育ち 現在は横浜で生活しているが たまに県外に飛ぶことがある。 決して悪事を働いて県外逃亡している わけではなく、あくまで自主的に 社会から逃亡することがある程度だ。 最終学歴は中学校卒業だが ほとんど
どうも、ひかりちゃんです ラダーオプションで勝ち続けており いわゆる無双状態の私は 翌朝、仕事へ行くことを躊躇しましたが 重い腰を上げて労働に励むことにしました 当然、仕事中も隙を見てチャートを眺め 良さそうな場面で様々な通貨を購入して ほんの少し仕事をして、スマホで 現在の利益状況を眺めて。を ひたすら繰り返していました。 結局、根拠もない買い方だったので 負けることもありましたが、前日 増えた資産を減らすことはなく むしろ数千円程度でしたが増えており 取引
どうも、ひかりちゃんです ラダーオプションという最強の武器を 手に入れた私に恐いものはありません。 翌日も仕事なので、夜更かしをするか 迷いながらも21:00開始の回号で 取引を行うことにしました。 初めてのラダーオプションということで USD/JPY、ロングで 目標レートは、挑戦しつつも控えめに。 1時間足、15分足で見ると上昇トレンド 5分足、1分足で見ると下降していましたが 一時的に下がっているだけだと判断して 1lotあたり370円前後まで価格が 落ちる
どうも、ひかりちゃんです 始発の時間を迎え、徐々に 空も明るくなり八戸駅を離れることに。 その日も当然ながら、やる事がない。 無理矢理にでも何かやる事を 見つけようにも、何かやる気力もない。 今の私にできることは ただ、過ぎる時間を待つだけしかない。 少しの仮眠を取れたとはいえ 快適でもないし、ぐっすりと寝たわけでもなく 頭は常にぼーっとしており 歩いていても一歩、足を前に踏み出す 動作さえも重く、辛いものだった。 ただ、この生活に慣れ始めたのか 昨日、一昨
どうも、ひかりちゃんです。 コインランドリーから離れて 再び、八戸駅まで戻ってきた。 お昼過ぎだったと思います。 八戸駅のすぐ隣に図書館を見つけた。 無料で入れて、座れる場所があり 当然、トイレもあるし水道もある。 ある程度、長居していても 本を読んでいる。と理由があれば 正当化出来ると自分に言い聞かせた。 数冊の本を手に取り 木で出来た椅子ではなく ソファを見つけて、そこに座った。 公園のベンチやコンクリートの地面 ばかりに座っていたので フカフカのソファは
どうも、ひかりちゃんです 轟々と燃え盛る炎を見守る群衆の中に ふとしくん(仮名)の母がいた。 我々一同、正確にはふとしくん(仮名) の存在に気付いたらしく駆け寄ってきた。 何と言葉を発するべきか 中学生の私には分からなかったが 何も言葉を発さないのが正解なのだろう。 私の母が白々しく ふとしくん(仮名)の母と社交辞令 のような言葉を幾つか交わして いかにも残念がっている。という表情 を即席でつくっていた。 テレビで活躍する大女優にも劣らない演技力。 一言、二言
どうも、ひかりちゃんです 2008年 当時、中学1年生の頃。 2学期が始まるタイミングで 同学年の皆より中学校を自主的に 卒業していた私は 朝からスカパーでアニマックスを 観続ける毎日を過ごしていた ようするに思春期の真っ只中。 家の玄関を開けると、目の前に 中学校があったので給食を食べて お昼休みに軽く食後の運動を行い お友達が下校する時間帯まで寝て 下校時間になると、お友達一同が 私の家に遊びに来る。 そんな順風満帆な学生生活を送っていた。 その日も、お
どうも、ひかりちゃんです トラックの下で眠って 起きては寝てを何度か繰り返した。 当時、夏といえど夜は それなりに気温も低く トラックの下で、風こそ凌げたものの 地面はコンクリートで熱が冷めており 身体は完全に冷え切っていた。 それに加えて、海の近くで フナムシが大量に湧いており 睡眠中、何度も這い寄ってくる感覚で 全く、寝た気にならず 少しずつ陽が昇り始めるであろう 5時頃、トラックの下から這い出て 立ち上がってみると 全身の怠さ、寒さで震えており 頭のて
どうも、ひかりちゃんです パチンコ店を退店した後 再び、現実に引き戻された気がした。 日中であれば、陽の光 陽が暮れたとしても先ほどのように パチンコ店のような人工的な光に包まれるし 通行人や パチンコ店の店員、利用客 言葉は交わさないにしても 視界に人が写る それだけでも随分と安心できる。 しかし、今からの時間は パチンコ店はもちろん、近くの 飲食店や民家の灯りは次第に消えて 町を照らすのは僅かな光になる。 それに加えて先の分からない 自分が今、置かれて
どうも、ひかりちゃんです 入浴施設近くのベンチから移動し 次は、さほど遠くない距離の イトーヨーカドーの店外にある 自転車駐輪場の隅っこで腰を下ろした。 呆然と、考えることを止めて ただ目の前の景色を眺めるだけ。 お昼時から、陽が暮れ始める頃まで 無を貫き通し、ほんの少しだけ 冷静さを取り戻し始めたと思います。 一通りの衣類、財布、タバコ 財布の中には現金の他に 身分証、キャッシュカード 知らぬ土地で生きる為に必要な ライフラインが全て絶たれたと 思い込んで
どうも、ひかりちゃんです 少しでも節約する為に ホテルではなくネットカフェを選び シャワーを済ませて仮眠を取り 青森県へ来て最初の夜が終わりました。 翌日は、朝9時頃にネットカフェを 退店しリフレッシュした気持ちで 再び青森県、八戸市の街を散策することに。 具体的な地名が分からず 土地勘も一切無かったので 何処行きのバスに乗ると何処に着く など分からず、移動手段は徒歩でした。 昨夜と違い、清々しい気分で 改めて眺める八戸の町並みは 昨日感じていた物悲しい哀
どうも、ひかりちゃんです。 長い時間、高速バスに揺られ ようやく目的地 青森県へ到着しました 青森市でも、弘前市でもなく八戸市 小学生時代、シャーマンキングという 漫画を読んだことがあり 話の内容で青森県の恐山という地が 度々登場していたので 恐山という山は知っており 八戸市から恐山へはさほど 距離も遠くないから。 という理由で 目的地を八戸市を選んでいました。 バスセンターへ到着し 初めて目にした青森県は 恐ろしほど寂れており 辺りを見回してみて
どうも、ひかりちゃんです 今から3年前の7月、22歳の時に 新宿で同棲していた交際相手の家を 飛び出し、青森県へ向かってました 足を運んだことのない北国へ 身内や友達が誰もいない土地へ 宿も決めず、滞在日数も決めず あてもない1人旅が始まりました。 九州で産まれ育った私にとって 東北は雪国、青森は九州とは また違った雰囲気を感じさせる 物悲しさを漂わせた田舎 そんなイメージを抱いていました。 リュックサックに 何着かの着替えだけを入れて 所持金は7万円