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文化の中核国に文化を認められるということ

 久々にnoteを投稿しています。書きたいテーマは毎日山のように思いつくんだけど、自分の中で文章を書くことの優先順位が下りに下がっています。

 こう言うとかなり語弊があるけど、文章を書くことって自分の中の「ただの趣味」で、それによって自分を成長させられないような気がしているんですよね。頭の中に日々漂っている捉えどころのない思考を文章として形に残して、後々見返せるようにしておくのはとても価値のある行為だとわかってはいるんだけど。

 だから、時間が空くと映画を観たり語学の勉強をしたり、何か自分の成長につながることをしてしまう。

 でも、今日のテーマは鮮度が高いうちに書いておきたいことなので、空き時間をまるっと使って今日感じたことを言語化しておこうとおもいます。



 今日のテーマは、アカデミー賞です。

 『ノマドランド』が主要な賞を総なめしていてびっくりしています。アカデミー賞的な「ウケる作品」って、かつてはもっと起承転結がはっきりしてる作品でしたよね。だから『ノマドランド』みたいな半ドキュメンタリーというか、なんというか淡々と進んでいく映画って作品賞に届きにくいのかなぁって思っていました。

 でもそういう作品が作品賞を取れたっていうことに、社会が少し変わったことを感じています。何がどう変わったかを言語化するまでにはまだ至っていないけど。


 社会が変わったといえば、韓国の役者さんがアカデミー賞の助演女優賞を受賞したこともものすごく社会の変遷を表していますよね。去年のアカデミー賞でも『パラサイト』が作品賞を受賞して話題になりましたが、その流れを今年も受け継いでるなと感じています。

 韓国の役者さん、ユン・ヨジュンさんですね。『ミナリ』でおばあちゃんを演じていました。『ミナリ』観たんですけど、一番印象に残ったのはヨジュンさんの演技でした。前半と後半の演じ分けがあまりにも鮮やかで、観ていて思わず心が痛くなりました。それと共に、外見がほぼ同じであるにもかかわらず、表情や声色や喋り方、動き方とかで内面の年齢の変化を表している技術に舌を巻きました。


 実際に劇場で観て強烈に印象に残った役者さんがアカデミー賞を受賞しているだけで今回のアカデミー賞は感慨深いんですけど、その感慨をさらに引き出しているのはこの方が「韓国」の方ということです。


 そしてふと、この感慨はどこかで味わったことがあるなと感じました。

 思い出しました。これです。

  今年の12月、BTSがグラミー賞にノミネートされた瞬間に、今日のアカデミー賞と全く同じ感慨を味わったことに気がついたんです。Dynamiteを受けてBTSのグラミーノミネートは確実かと言われていたけど、本当に「韓国」のアイドルが「グラミー賞」という世界的に権威のある音楽賞にノミネートされた時は、そのことを信じることができなかったぐらいです。

 BTSもめちゃくちゃ好きで、このグラミーの時には他にも色々な感情が襲ってきたんですけど、それを語り出すとあまりにも脱線してしまうので、この話はこれぐらいにしておきます。

 

 話を戻します。

 社会要素を織り込みつつ目が離せない展開に仕立て上げられている韓国映画、完璧な歌や一糸乱れぬダンスで心を鷲掴みにする韓国アイドル、辛くて美味しい韓国グルメ、日本語より微妙な機微を伝えられる(と思っている)韓国語などなど、挙げ出したらきりがないんですけど、私は韓国の「文化」そのものが大好きなのです。

 

 「文化」の中には古典芸能や食事、言語、ポップカルチャーなど、さまざまなものが含まれていますが、ことポップカルチャーにおいては今も昔もアメリカが最強だと思っています。ハリウッドという巨大なプロダクションができて娯楽映画の地位向上に一役買ったのもアメリカなら、ジャズやフュージョンなどの様々なジャンルを絡み合わせて耳馴染みのいい音楽を作り出してきたのもアメリカです。

 なので、アメリカはポップカルチャーに対する発言力がものすごく強いし、アメリカの動向によって世界のポップカルチャーの動きが変わると感じています。


 そんなアメリカが行っている映画や音楽のナンバーワンを決める賞に、立て続けに韓国の作品や人物が選ばれていることが、嬉しくてたまりません。

 日本でも「アカデミー賞受賞!」という文句で広告を打つとその映画は興行収入が跳ね上がるけど、この現象って世界各国で見られると思うんですよね。だから、自分の大好きな韓国文化がアメリカという文化の大国のお墨付きを得て世界に輸出される、それを受けて今まで韓国文化に縁がなかった人も韓国文化を知り、好きになる。2020年から21年にかけて、韓国ポップカルチャーの中の様々なジャンルでこういう好循環が生まれていることに、いち韓国文化ファンとして喜びを感じています。


 もちろん、この現象は「多様性を重んじよう!」というアメリカ文化界の潮流が多分に影響していると思うし、アジア系の映画や音楽がアメリカの主要な賞を受賞したりノミネートされたりすることに眉をひそめる人もいるし、多様性を高らかに掲げながらもアメリカではアジアンヘイトやアジアンクライムが横行しているし、決してアメリカの中でアメリカ=アジアという考え方が根付いているわけではないんですけどね。

 でも今日のアカデミー賞の報に接して、この受賞がアメリカに蔓延るアジアンヘイトを少し打ち破るきっかけになればいいな、と思いました。

 

 そして来年こそ、ウリバンタンにグラミー賞を獲ってほしい!

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