母親が死んだら
お盆の時期だったのでWワークの方へ昼間にシフトインしていたときのこと。向かいのビルに警察官の姿が見えた。何してるんだろ?仕事をしつつチラチラと見ていると、警察官は消防車を誘導した。火事のときのサイレンではなかった。
店内にいた常連さんたちもさすがに気になり始めたのか、1人が野次馬になって警察官に尋ねに行った。
どうやら店内からは見えないところ、消防車の後ろに救急車も止まっているらしい。
そのうち、AEDも持ち出されたが、すぐに持って帰ってきていた。
まもなく担架が運び出され、サイレンも鳴らさない状態でゆっくり救急車が出発していき、後には警察官が数人残った。
つまりはそういうことだ。
野次馬になっていた常連客は事態がまだ飲み込めないようで、「何?何?」と不思議がっていた。
わたしの毒母親の1つだけ美点は、たぶんわたしは搾取子だったんだろうとは思うけど、かなり昔から「(老後は)子どもの世話にはならない)」を実践しようとしていることだ。
まだ辛うじて絡みがあったときに、わざわざ
「私は献体をしている」とか
「病院に運ばれないように『道端で倒れていても助けないでください』と書いたメモを持ち歩いている」とか知らせてきていた。
「病院に運ぶな」なんて、ただの無知。
そんなことをわたしに伝えて何をどうしたかったのか、知る由もないが、そんなことを伝えてくる無神経さが母親だ。
でも、子どもの、特にわたしの「世話にはなりたくない」という意識はご立派ご立派。
母親が死んだら泣くのかな?わたし。
コロッと逝けばいいけど、痴呆になりそうな要素がたくさん。その時はその時で父親や愛玩子の妹がなんとかするでしょ。
父親にも手紙で母親との絶縁を告げているので、そもそも死んでも知らせが来ないかもね(笑)
自分を見失って、人のためにしか生きられなかったあなた。自分の人生見つめず人のことばかり。
自分も実家を捨てていたけど、わたしからも捨てられた(と思ってるだろう)あなた。
少しでも自分を取り戻してほしいけど、年齢的に難しそうだね。逃げ続けてるもんね、ちゃんと自分のことを考えること。
それでもわたしが気にしてしまうのは、一応のわたしを産んだ人だからしょうがないよね。
でも«他人»のわたしにはどうしようもない。
この関係のままで母親が死んでも、わたしに悲しい感情は起こるのかな?
向かいで亡くなっていた方は、どんな人生だったんだろう。一人暮らしっぽい感じだったけどちゃんと悲しんでくれる人いるよね。