親と一緒の時間なんて短かかった
うちの両親はそれぞれが毒親育ち。毒親同士が結婚して生まれたわたしは、アダルトチルドレンのサラブレッド(世代連鎖)です。わたしの家族は、5歳下に弟と、7歳下に妹。DVモラハラパワハラアル中の父親と支配的でネグレストな母親。家庭にも学校にも居場所のない闇の小学校時代を、4歳までの母親との楽しかった記憶だけを糧に反芻しながら過ごしました。私立中学への入学が第一の転機となり、そこから私立一筋で大学まで入学・卒業し、家から逃げるように結婚までこぎつけます。第二の転機となる会社に入り…
無事に手術は終わりました。
結構出血したようです(1Lほど)。貧血が続いていて自己輸血の準備もなかったので、血液製剤を投与されていました。麻酔から覚めましたが、とにかく痛くて寒くて、もう一回薬で眠らされました。
午前中で終わるはずだった前の人の手術が長引いて、時間が押してしまってこの時点で終電が近く、Kくんは一旦家に帰りました。
夜中に目が覚めました。
医者がやってきて、こんなの取れたけど、見る?と筋腫を見せてくれました。
丸い大きいのが2つと小さいの1つ。
触るとゴリゴリしていました。
朝になって血液検査があり、せっかく脱していた貧血でしたが、再び貧血に戻っていました。鉄剤を入れるために点滴は外れませんでした。
そして、朝からKくんが来てくれている中、母親がやってきました。
その病院は産科はなく、患者にしずかに休養してもらうため、と1親等までしか面会が許されていませんでした。なかなか良いシステム。
妹と来たらしく、妹は入れないので母親だけ病室に来ました。
「洗濯物とか、困らないの?」と聞かれました。
「Kくんが全部やってくれるから」
母親は危惧していたようなことは何も言わず、1Lほど出血あったのを聞いて「大変だったね」と言って帰っていきました。
なんだったんだ、一体???
かなり身構えていたわたしは拍子抜けしました。
(わざわざ見舞いに来た理由はその後対決したときにわかることになります)
夕方になって、もう一度母親がやってきました。
家に帰るらしく、見舞いの羊羹を受付で渡し、病室までは来ませんでした。看護師さんがその旨を教えてくれて預かった羊羹を持ってきてくれました。
羊羹なんて、わたし食べないのに。。。
わたしは甘いもの、特に和菓子は得意でなく、羊羹は絶対に食べないお菓子の一つです。
父親が甘いものをほぼ食べず、わたしの嗜好は、父親のソレと全く一緒でした。
母親だけど、そんなことも知らないんだな。。。
まぁ当然か。
一緒に過ごした時間なんてほんのちょっとだったし。
面会に来てくれていたKくんに羊羹はポイッと渡し、持って帰ってもらいました。Kくんは甘いものも大好き、何でも喜んで食べてくれます。
※なんで羊羹だったのか考えていたら、地元の田舎には百貨店というものが近くになく「百貨店で選ぶ」という発想がそもそも存在しなかったんだろうなぁ、と思いました。確かに羊羹なら病院の近くに路面店がありました。