第2の転機

うちの両親はそれぞれが毒親育ち。毒親同士が結婚して生まれたわたしは、アダルトチルドレンのサラブレッド(世代連鎖)です。わたしの家族は、5歳下に弟と、7歳下に妹。DVモラハラパワハラアル中の父親と支配的でネグレストな母親。家庭にも学校にも居場所のない闇の小学校時代を、4歳までの母親との楽しかった記憶だけを糧に反芻しながら過ごしましたが、私立中学への入学が第一の転機となります。そこから私立一筋(笑)で大学へ入学し、家から逃げるように結婚までこぎつけます。(お父さん:義理父)


優しかったお父さんが亡くなったあと、当時勤めていた会社の社長もB型肝炎からの肝臓がんで亡くなり、わたしは解雇になりました。人生2回目の正社員になって割とすぐのことでした。社長が病床から出した指示で多額の借金ができ、また同じく指示で社員になった人が7人もいて、最初からいた1人とわたしよりあとに入った男性1人を除いて解雇だったので仕方のないことでした。

いくつか面接にも行きましたが、あまりぱっとするところも、やりたいこと、できそうなこともなく、よって採用されることもなく、「やっぱり自分はダメだ、何もできることがない」と憂鬱な日々でした。今回は会社都合による解雇になるため、失業給付金もすぐ出るのはありがたかったのですが、負の気配しか漂わないハローワークに、おじさんたちに混じって通わないといけないことが、わたしの気分をさらに押し下げました。

1ヶ月だけの派遣に行ったりして、給付ももらいつつ、ちゃんと採用してくれるところを探していました。条件は3つ。朝は弱いので10時から開始。家からできれば30分以内。事務系。簡単なようでこんな条件、なかなかあるわけがありません(笑)。
ある日条件にそこそこ当てはまる2件に目星をつけ、応募することにしました。1つは女嫌いなわたしに「女性多めの職場です」というのがネック、もう一つは乗り換えが必要になるので30分で行けなさそうなところがネックでした。

先に女性多めの会社の面接を受けました。女性多めというフレコミだけあり、面接に出てきた社長も部長も女性でした。履歴書を見て、「お子さんの予定は?」と聞かれました。即答で「ありません!」と答えました。優先順位を考えて動くのは得意です、という話をしたら、気に入ってもらえたようです。自分でも満足いく出来栄えで、これでだめならもうどこにもわたしの行けるところはないやと思いました。お父さんや前の社長さんが亡くなった話を聞いてもらえただけでもスッキリしていました。
面接への御礼状を書いてみようと初めて思いつつ家に帰ったら、電話がすぐになりました。採用を知らせる電話でした。

第2の転機となる会社に入ることになりました。

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