わたしの安全地帯
小さい頃(まだ妹も弟も存在していなかったとき)母親はわたしに絵本を読み聞かせてくれていた。
年子で弟と妹が生まれた後はそんな時間は全くなくなったので、一人で文字を読むようになった。
小学校1年で新聞の社会面を隅々まで読むようになった。
小学校2年で学校の図書室に入り浸って読めそうな本を片っ端から借りて読んだ。
全学年で年間図書室利用1位が普通だった。
中学生になると住んでいる町、通学途中の町、学校のある町の3町をまたがっての自転車通学になったので、片っ端から寄って借りられる限界まで本を選び、3日もあれば返す日々を過ごした。
活字中毒だった。
依存できるものが活字だけだった。
ーなんて健康的(笑)
活字が小学校から高校まで安全地帯になってくれた。
大学に入って親から離れるとわたしは急激に活字に対する興味を失っていった。
一人の安心できる生活を手に入れたから、活字に依存する必要がなくなったのだ。
毒親育ち、機能不完全家庭育ちのアダルトチルドレンなわたしが「愛着障害」を持っていないわけがない。
今回「愛着障害ー子ども時代を引きずる人々」
を読んだので改めて一応タイプを調べてみたけど、
まぁ見事な不安型(41%)+回避型(39%)+未解決型(18%)のハイブリッド。安定型なさすぎる(笑)。
だよね、知ってた知ってた。
「愛着障害」の本によると、親が果たしてくれなかった役割を、今更ながらパートナーが肩代わりしてくれているようだ。
親との確執・問題をすべてパートナーにぶちまけて以降、特にわたしの安全地帯になっているらしい。
良い安全地帯の条件「愛着障害」の本より
・安全感の保証ー一緒にいて傷つけられることがない
・感受性ーわたしが何を感じ、何を求めているかを察し、共感してくれること
・応答性ーわたしが求めているときに応じてくれる(相談して良い・守ってもらえるという安心感がある)
・安定性ーわたしの求めにパートナーの気分や都合で対応が変わらない
・なんでも話せる
うん、確かにこの5つとも、親には全くなかったな。
でも今はパートナーが安全地帯を与えてくれてるなーと感じることができる。
+noteへの書き殴り
+読書でわたしの周りで起きていた諸々を知ること
で、パートナーが安全地帯であると感じることが徐々にできるようになったというべきか。
「愛着障害」の本より
「安定型の人は、自分が愛着し信頼している人が自分をいつまでも愛し続けてくれることを、当然のように確信している。愛情を失ってしまうとか、嫌われてしまうなどと、思い悩むことがない。自分が困ったときや助けを求めているときには、それに必ず応えてくれると信じている。
人の反応を肯定的に捉え、自分を否定しているとか、蔑んでいるなどと誤解することがない。そもそも人がどういう反応をするかということに、あまり左右されることがない。自分が相手の要求を拒否したり、主張を否定したりすると、相手が傷つき、自分のことを嫌うのではないかと心配したりはしない。自分の気持ちを偽ってまで相手に合わせるよりも、自分の考えをオープンにさらけ出した方が相手に対して誠実であり、お互いの理解につながると考える」
という部分に衝撃を受けた。
え、これって本当のこと??????
本当にこんな人っているの??
愛着安定型ってこんな考え方するの????
信じられない。
自分がちょっといい傾向になってきてはいるとは思うけど、
いつかこんな境地にたどり着けることがあるんだろうか。