ヤングケアラー爆誕!
母親と蜜月関係にあった4歳頃から一転、一軒家に引越をして弟が生まれたことで、小学生ヤングケアラーとしてもデビューです。
わたしは親に「おねーちゃんでしょ!!」と一度も言われたことはありません。
おねーさんなのは当たり前のこと。そんな言うまでもない簡単なこともわからないようには育てられていません(笑)。
つわりやお腹が大きくなってしんどい母親のために、布団をたたみ、布団を押入にしまい、掃除機をかけ、風呂掃除をし、洗濯物を洗濯機にいれて、干して、たたんで、料理も母親の指導の元、野菜を切ったり大根をすりおろしたり炒めたり揚げたり。
自分の手をすりおろしたり手を包丁で切ってしまったり、油で火傷したり、怪我もたくさんしました。手伝いをするのは当たり前のこと、と刷り込まれていました。感謝の言葉など当然のようにもらったこともありません。
母親が出産で家を空けたときも基本的な生活に父親は困っていなかったと思います。
アル中の父親のため焼酎のお湯割りをビクビクしながら出しました。お湯の作り方が分からなかったのでぬるいものでしたが、さすがに父親は文句を言うことはなく自分で作っていました。
母親が弟を連れて帰って来ましたが、わたしが弟のミルクを作って飲ませて、最後に背中をトントンしてゲップをさせます。保育園のときからわたしはあたたかいミルク(脱脂粉乳?)の匂いが大嫌いで、弟に飲ませるミルクも吐き気を催すものでした。
わたしは小学生になりました。
入学式に母親が来ました。家から小学校まで2km。集団登校の集合場所まで次の日一緒に行きました。
授業が始まる前、学校の授業の準備を1回だけ一緒にしてくれました。
弟は生後半年にもならず、母親は夜中も弟のお世話をしていて朝に起きてくることはありませんでした。
冬など真っ暗な中一人で起床し、ストーブをつけてパンを焼き、誰にも「行ってらっしゃい」の言葉もかけられないまま学校に行きました。次第に朝ごはんは食べずギリギリまで寝るようになりました。
雨の日の特に月曜日が憂鬱で憂鬱でたまりませんでした。