中高時代は自分に何をもたらしたか?
以前のnoteにも書いたが、
「この大学に入学して良かった」
4年後卒業するときには、そう思える理由を見つけていたい。
中学時代にある人の講演会を聞き、「ここに入学して良かった」と感じたことがあった。もし地元の中学あるいは当初中学入試で志望していた中学に進学していたら、その方の話を聞くことはなかっただろう。
高校時代にも多くの刺激的な経験をすることができ、一応中学・高校の学生生活には満足している。
生徒会長を経験させてもらったり、文化祭のセレモニーを企画したのも楽しかった。何にも代えられない思い出と経験を得て、仲の良い友人に出会えたことが中高時代が自分にもたらしてくれたことである。
実は書きたかったのはここから
しかし「一応」と書いたように、私の中高時代には不満な点もある。自分のポテンシャルをもっと飛躍させられたのではないかという点と、自分が本来持っていた個性さえ閉ざされてしまったのではないかという点だ。コロナ禍によっていろいろな機会が喪失したのも悔やまれる。
①ポテンシャル
校内だけの人間関係に終始するのではなく、もっと校外の同年代と交流して刺激を受けるべきだった。高校生限定のイベントも多数開かれており、そうしたイベントにももっと多く参加していれば交友関係を広げるのみならず、知らなかった自分の一面を発見したり未知の世界に出会うことができただろう。
だが大学生になると高校に比べて時間的に余裕がある。そのため勉強以外にも様々な活動に参加したり、自分のしたいことをして可能性を広げることができる。この4年間で「高校3年間で失われた自分の可能性」を取り戻したいと思っている。
②本来持っていた個性
幼少期は様々なことに興味を持ち、人の目を気にしない活発な発言や行動をしていた。時に破天荒な振る舞いをすることもあった。
しかし社会性の発達も一要因にあるのかもしれないが、徐々に周りの目を気にするようになり、例えば全校生徒対象の講演会で挙手をして講師の方に質問をするのが怖くなったり、プレゼン発表など人前に立って話をするときに緊張したりするようになった。
中学・高校の私の学年は比較的「変人」が少なく、おとなしい人が多かった。そんな集団の中で日々生活していくうちに、いつしか大勢の中で目立つことを恐れるようになっていったのだろう。
それらもまた大学生として生活していく中で、徐々に取り戻していったように感じる。
大学ではクラスはもはや存在しない。学年単位で何かをすることもない。同一の時間割の人もいないので一日中同じ友だちと一緒に授業を受けることもない。一人暮らしも始まって、自分で主体的に一日を過ごすことになったのである。
入学して気付いたこと
大学では自分の個性を爆発させていい。
むしろそうした「変人」が歓迎されるような雰囲気が大学にはある。閉塞感のある中学・高校とは違い、大学には自由な世界が広がっていた。