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なりたい自分
「幼稚園の先生になりたい」
今から思えばこの思いには隙間があった気がする。
小学生の頃
周りの歳下の子とよく遊んでいた。
それは
年上のお兄さん達と遊んでもらったのと
同じような感覚だった。
だから
大人達に
「面倒見がよくて助かるわ」と言われても
いまいち、ピンとこなかった。
将来の夢なんて
全く考えていなかったし
考えてみようとすら思わなかった
幼稚園の卒園文集に将来の夢を書く事になった時、何にも浮かばず、
母に「お母さんは何になりたかった?」と聞いた。
母は「綺麗な洋服をきるモデルさん」と言った。
私はそのまま、もでるになりたい、と書いた。
担任の先生はびっくりして
「すごい夢ね、叶うといいね」と言った。
いたづらばかりして、男の子と泥だらけになって遊んでる私からはきっと想像もできなかったのだろう。
実は、ここに大きな聞き間違いがあった事に気づくのは小学生になった時。
「私にモデルは無理だなぁ」
ポツリと言った私に母が
「なんのこと?」と聞いたので
幼稚園の卒園文集の話をした。
母は笑いながら
「あの時はびっくりしたわ。お母さんの夢は何?って聞かれて、まさか、書くとは…しかもね、お母さんは『綺麗なモデルさんが着る洋服を作れるデザイナーになりたかった』って言ったのよ。モデルになりたいって言うから、本当になりたいと思ったんだと思ってたわ」と言った。
母は確かに、洋裁学校を出ていたし、
私の服は母が作ってくれていた。
変だなぁとずっと思っていた謎が解けた。
そして、モデルの夢は諦めた…というか、
亡き者にした。
さて、学校のクラス文集に
将来の夢を書くことになった…
そこで思いついたのが
「幼稚園の先生になりたい」
だった…
なんでなりたいのか?と問われて
答えたのが、
「小さい子の面倒を上手に見れて、
将来、幼稚園の先生になったら?と大人達に言われたから」
何も考えず、他人から見られた姿が一番、私にあってると思ったのだ。
小さい子の面倒を見るのは好きだったから、
それもいいかなと。
確かにその道を目指そうと頑張ったつもりだが、その頑張りに穴があった。
その当時を振り返ると
いつも「誰かに決められた道」を歩き
「自分で決めたことじゃないから」と
言い訳をしていたように思う。
そんな気持ちが心の隅にあったから
後一歩の踏ん切りが効かなかったのでは?
その事に気づくのはだいぶ後だけど。
高校での進路相談で周りに言われるままに
幼稚園教諭の免許の取れる大学を目指す事にした。
この時、ふらりと、私は別の道も模索していた。
当時、私は手話を部活で習っていた。
そこで、福祉系にも興味を持った。
だが、周りから福祉系は体力がないとできないし、視力が悪いから無理じゃない?と言われて、反対されるなら…と諦めてしまった。
なぜか、幼稚園教諭を目指す子が多い年で
何処の大学も短大も競争率が高くなっていた。
結局、幼児教育の短大も大学も全滅して、
進路も決まらないまま卒業した。
父の「浪人してもいい」の言葉に
浪人を決断。
予備校に通い、いざ、受験。
その年も競争率が高い!
しかも現役生と競うことに
ハードルは上がってしまった。
ここで、学部を変えるという決断をした。
前から興味があった福祉系の学校も考えてみたのだ。
予備校で仲良しになった友人も目指すと言っていたが、彼女ですら手が届かないという事を知り、私は、国文科を目指す事に…
ところが、準備不足。
結局、何処も受からなかった。
私は決断した。
もう、就職をすると。
初めて、自分で決断した瞬間だった。
今まで、「誰か」の影に隠れてきた私は
初めて自分で自分の道を探し始めた。
反対される事を恐れ
誰かの言葉に振り回されて
自分の道すらも、他人に委ねて来た
もし、父に言われた通りに
もう一度、浪人したとしても
私は大学にはいけなかっただろう。
もし、あのまま、受かっていたら
私は、私の道ではなく誰かが作った道を
歩いていただろう。
「幼稚園の先生になりたい」
そう思ったのは本当
ただそれはきっかけでしかなく
そこに向かう努力をする力がついてこなかった。
大学進学に失敗して、違う道を歩く決断をしたから、新しい別の道が見えてきて、
働く楽しさを感じる事ができた。
子供達に向けるはずだった本来の面倒見の良さは仕事場で生かされて、後輩にも恵まれた。
あの時、浪人を辞めて就職すると決断したからこそ、届くべき人に、場所に届いたのだと思う。
大学に行けなかったこと、
幼稚園教諭になれなかったこと
ちょっと、残念だったけど
それよりも、ずっとずっと
大切なことを、私は学んだと自負している
誰かに言われたから
ではない自分だけの道を歩ける幸せ
全てはあの日に決断したから。
あの決断をして
良かったと思う。