竹の花
記事を読むと2018年頃から、竹の花の話題が出ているらしい。
私が気づいたのは、確かその翌年だったように思う。
あの騒動とセットだったので、よく覚えている。
農協を定年退職された方に伺ったら、
「50年とか100年とかで枯れてしまう時に花が咲く」と、
ごく当たり前のことを言われて、
(ずっと金融関係の人だった?)とつい疑ってしまった。
何かで読んだ「竹の花は100年に一度咲く」という、
言葉だけを覚えていたせいだ。
だけれども50年というのも間違いではなかった。
竹の種類がそれだけあるということも、私は知らなかった。
思い込みだけのごくごく浅い知識。
「竹の花が咲いている」話題をしても多くの人は気にしていなかった。
それほど目立たないせいだ。
綺麗ではないし、高い地点で咲くし、
私自身も高台のお宅にお邪魔した帰りの坂道で、
遠めにふさふさしてる変な竹の様子に、たまたま気が付いただけだ。
これはもしや、と意識したらあちこちに竹の花が咲いていた。
だけれども、その次の年もそのまた次の年も同じように咲いているし、
同じように話題にものぼらないので(そう言えば今年は)と、
秋になって思い出したら、やはり咲いていたあとが見えた。
竹の花を見た時には、子孫を残さなければいけないという行動は、
いったい何によるものかを考えた。
寿命か、子孫を残さなければと、追いつめられているかのどちらかだ。
追いつめられるような状況とは、環境が悪くなったせいしか理由がない。
空か大地かと考えたら、それじゃあケムトレイルのせいかと決めた。
その竹が生まれ育った年を覚えていないので、
答えをそれにしてしまえば、はやる好奇心の落ち着き先が決まる。
初めて空を見て気づいたのは、2011年の初夏に差し掛かる頃だった。
仮設住宅は高台の学校の校庭だったので、空が広くて気持ちが良かった。
ある朝に放射線状の7~8本の飛行機雲に、
格子状にも横に何本か飛行機雲が入っていて、
思わず動画を取って「なんだろうねぇ」と年下の友人に送った。
仕事の関係で分かるのではという期待が少しあり、
もちろんとても頭が良かったのでこの疑問を解消してくれるはずだった。
返って来た返信は「さすが、するどいですね」の一言だけだった。
さすが、と褒めてごまかしたのだろうけど、
その一言は、聞いてはいけないことだということを教えてくれた。
友人が「こないだはうるさかったけど、なんかね、実は領空侵犯の
スクランブル発進があったんだって」と話してくれたことを思い出した。
「こちらでは、よくあることらしいよ」とひそひそ話にしたけれど、
多くの人が知らないところで、別の多くの人が働いていることを知った。
知らない方が幸せだという事柄の、たくさんあるうちのひとつだ。
奇妙な飛行機雲は三沢方向で何かあったのだろうか、と結論に決めたので、それならば、私には考える必要のないことだと、好奇心を落ち着けた。
湾岸戦争時には、地形がイラクに似ているということで、
このあたりは飛行訓練に使われていた。
パイロットの顔が見えそうな位の低さまで、
港につきささるように飛んできたのを目撃した時は恐ろしかった。
実際に墜落事故もあったのだが、それは初めてではない。
随分昔に、人里離れた岬で墜落した時は、
父もアルバイトで出かけて行き、「どんな小さな破片も残さず、
すべて回収した」ことの驚きを、何度も語ってくれた。
「若い人が肺の病気で死ぬことが増えた」と語ったのは、
母だけではなかった。
だけれども皆「震災瓦礫を長く吸い込んで暮らしたせい」と疑わなかった。
海底から巻き上げられて陸に堆積した津波のヘドロも汚く臭く、
その後は工事が続いて、長く粉塵の中で暮らした。
外から支援にやってきた人は喉をやられたり、
「空気が悪いですね」と語る人も少なくなかった。
スギナも漆も竹も、厄介者だと思われている存在を面倒と思うことで、
生活も文化も、きっと衰退していくのでしょうね。
人間もそうなっていく社会を望んでいるのかもしれません。
毎年、竹の花が咲いていて枯れないということは、
じんわりと何かにやられて、必死に耐えているということなのかな。
真実はいつか分かるのでしょうか。