優しいだけでは物足りない暮らし
せっかくお知り合いになれたのに、と少し残念だった。
Uターンしたのに、さらにUターンされるのだという。
だけれども、結局はその方がいいと私も思った。
きっかけは誕生日にいろんな方から、メールが入っていたことらしい。
きっと、それまで行ったり来たりの気持ちに悩んでいたのだと思う。
以前、いろんな事情でこちらに住めなくなって、
それなりの年齢になって、都内に引っ越された方のことを思い出した。
その方は社交的で、「田舎より楽しい」の連発らしく、
いろんな方とお知り合いになれる、というのがその理由だった。
「都会は人間が多いから、エネルギー多くて、歩くのが軽くて楽」
「あー、うんうん」と教えてくれる友人もいたけれど、そう友人が。
どこにいても、家族や友人が、故郷の山や川と同じなんだと思う。
お知り合いになったその方も、そうだった。
ひと回り年上の方だけれど、穏やかな話し方で、
お喋りすると、ネガティブなことも明るく聞こえて、はつらつとしている。
ひとり暮らしになって、故郷に戻って一年を過ごしたという。
大きな理由は、お子さんとの同居が上手く行かなかったせいだ。
故郷に居を構えると、ご兄弟の心配りも受け、
あれこれのサークルで出来た仲間も増えて、それなりに落ち着く。
新しい生活でのルーティンにも慣れた頃の、懐かしいお友達からのメール。
「生きている」というような実感は、優しさだけでは何かが足りないのだ。
大事にされても、気遣いされても、笑顔の中にいても、
つまりは、何も不満がないという不満が生まれてくる。
楽しくても、幸せが感じられないのだと思う。
やはり、対のものがなければ。
「もっと早くにお会いしたかったわ」と、
どこにも方言のニュアンスの残らない言葉は、
長い年月をかけて、心を置いてきた場所がある証拠。
暮らした生活のテリトリーを少々共有していたので、
昔話や思い出話も楽しく聞いてくださった。
「向こうには行かないの?」
「震災の年の夏に出かけたきり。そちらの方までは行かなかったです」
ひとしきり、あれこれ話が弾んだ。
「車を持たない一人暮らしには田舎は不便」という納得と共に、
終の棲家というものにきちんと向き合ったのだと思う。
「引っ越し準備で忙しくなるけれど、またお会いできたら」という言葉に、
こちらは少々淋しさを感じてしまう。
あの年の夏を思い出した。
忙しさばかりが続いて、気分転換の癒しを求めて、
立ち上がらない心を抱えて、小さな旅のようなことをしたのだった。
乗り換えに頭を使いながら、知らない人と通りすがりの会話をして、
ぼんやりと電車に乗り続け、上野公園でベンチに座って、
ただ歩いてくる人たちを何時間か、眺めたのだった。
ひとりきりだと思う時間に、メールが届く嬉しさを知る。
「ねえ、どっちがいいと思う?」と電話をかけて、
大英博物館の展示を選んで、時間を費やし、
それから、もっと元気な浅草寺まで行こうと思い立ったのだった。
普通の、変わらない、賑やかな景色なのに、心臓がピクリとも動かない。
人の流れにまぎれたロボットのように、ただ顔を上げて真っ直ぐ歩いた。
ご祈祷の時間にちょうど良かったので、暇つぶしの気分で申し込む。
申請用紙の住所は、しっかりと詳しく書かないと仏様に届かない。
たぶん、まだ珍しかった仮設住宅の住所を見たせいで、
窓口の男性がマニュアル以外の丁寧なお見舞いをくださった。
本堂の中は静かで暗くて空気も重くて、
まるで人がいても誰もいないかのように、気配がなかった。
ご祈祷が始まり、壁に背中を預けた楽な姿勢で、
なかばふてくされたような気持ちで、お経を読む声に耳をかたむけた。
(あまり、いい声じゃないなぁ)
ちょうど賽銭箱の裏にあたる場所だったから、
遠慮のない、お賽銭がジャラジャラ落ちる音と、
盛大にかき鳴らす鈴の音ばかりを背中で聞きつづけていた。
広い本堂の中では、お経を読む方と、願掛けする人たちがほんの少し。
(この壁が、この世とあの世に行く道とを分けているのかも知れない)
背中に入り込んでくるこの世の欲や願いの音が、
私をこの世に引き戻してくれるような感覚にとらわれた。
(私は今どっちにいるんだろう)とボーッとする。
ジャラジャラ、ガラガラと、投げ銭と鈴の音は果てしなく続く。
脳みそをゆすり続けるような、この世の音。
絶対秘仏のご本尊様に向けてお経を読んでいた方が、
去り際にチラリと私に視線を下さり、
その表情をこの目に焼き付けたのも覚えている。
(あ、あの人もこの世の人だ)と、人間らしさに気づく。
迷いつつ苦しみと向き合う世界で、
誰もが生きる力を生みだすのかも知れないと、漠然と感じたあの日。
頑張るぞ、という気持ちが目指す希望を夢見た日のこと。