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秋の風に吹かれて

日が短くなってきたのをヒシヒシと感じる。

時計の針が19時を過ぎていても、まだ明るかったのにと思う。

夜は夕焼けと共に西の空に送り出すようにして、
刻々とその色合いを変えていく。

テラスに置いた椅子に座り、足を投げ出してゆったりした気持ちになる。

聞こえてくるのは虫の音と川のせせらぎ。

どこかで規則的に聞こえるのは、
山の水を引いているお宅の、あふれた水が川底に滑り落ちる音。

木々が揺れてもいないのに、どこからか風がおりてくる。

静かだ。

こんな時に、人はどんなことを考えているのだろう。

利休梅に飾り付けているイルミネーションの灯りがともる。

遅れて電柱の灯りもついた。

瞬間に立ち会うって、得した気分になる。


先日、人と話していて、少しいじけた気分になったのを思い出した。

誰かがしなければいけないことを、私が引き受けただけのこと。

だけど(私のことを心配する人はいないだろうし)というような。

うんと甘やかされたい気分になったのは、なんでだろう?

きっと、ただ秋のせいかな?

人知れずいじけていたら、友人から美味しそうな葡萄が届いた。

老夫婦でつくっていらっしゃるシャインマスカットとクイーンニーナ。

美味しそうな見た目と、老夫婦の物語を思って感謝する。

次の日には、近所の方が釣って来た大きなカレイをいただいた。

お刺身とお煮つけでいい匂い。

昼には、遠縁のおばさんが、
新米ではないけれど、お米20キロを心配して持ってきてくれた。

ゴーヤも二軒のお宅からいただいたけれど、
我が家では減らないので、お好きな方を思い出して、二軒に横流しした。

もうピーマンは嫌になってきたので、職場に持って行く。

帰宅したら、山から取って来た白シメジが大量におすそ分けされていた。

苗づくりな上手なご主人をお持ちの方から、
ブロッコリーの苗も15本いただいたのも思い出した。

田舎では、大抵、横流し前提にやり取りするので、
いただきものは少量と言うことはない。

ブロッコリー苗も、ご近所にお分けした。

私の世代は、専業主婦というのはかなり珍しいので、
こういったご近所とのやりとりは少なくなるのだろうな、と思う。

「仏様拝ませてくださいね」と、
親戚で、お彼岸やお盆に訪ね合うことも無くなってしまうだろうし。

みな家族は解体されて遠くで暮らしていたり、
そもそも、神棚も仏壇もない住まいが我が子世代の暮らしだ。

忙しさを理由に、いろんな付き合いは面倒だと避けて暮らしている。

神様も仏様もご先祖さまも、うちの中に入られないのかも知れない。

生きている人も死んでいった人も、秋の風のように迷っている。

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