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泰衡の苦悩によりそう花

夏草なつくさつわものどもがゆめあと

平安京を凌ぐほどの繁栄を誇った平泉にて、
その地に立った松尾芭蕉が詠んだ、有名な句だ。

奥州藤原氏は「争いのない現世浄土」を願っていたものの、
叡智あふれる三代秀衡ひでひらが亡くなった後、
四代泰衡やすひらは、源義経の首ひとつとを天秤にかけて、
奥州のひとびとの平和を選びとった。

源頼朝にとって、唯一邪魔な勢力である奥州藤原氏は、
義経と同じ運命を辿ることになる。

昭和二十五年、中尊寺金色堂の補修の際に、ご遺体調査が行われた。

清衡きよひら基衡もとひら秀衡ひでひらの藤原三代の自然のミイラと、
寺伝にも記された「忠衡ただひら」と書かれた首桶があったからだ。

異母兄の四代泰衡やすひらと、義経の処遇を巡って、
意見の対立があったため、忠衡は誅殺されたとしている。

しかしきずの調査の末、それは泰衡のものだと分かった。

太刀創の七回のうち、五回失敗して、最後の二回で切断され、
さらし首にされた証拠の釘跡が、その額にあったからだ。

何らかの形で、誰かの手で、泰衡の首だけが平泉に戻ったに違いない。

当主の無残な首を見て、「忠衡」の名に隠した人がいて、
その首桶に、蓮の種を詰め込んだ人もいた。

まるでお供えするように、お慰めするように。

種は、幾人もの手が繋がり、平成五年に発芽に成功し、
平成十年に、およそ八百十年ぶりに大輪の花をつけた。

中尊寺蓮と名付けられたこの美しい花は、
さまざまな人の手にも渡り、あちこちの休耕田などに咲いてきた。

この泰衡蓮やすひらはすとも呼ばれる花を、私も譲り受けた。

そのおばあちゃんは、一枚の田んぼでたくさん育てていたけれど、
高齢で、維持する体力が無くなったとお聞きした。

「田んぼと同じように世話すればいいのよ」

おばあちゃんのアドバイスはシンプルだけれど、
田んぼの世話が分からない私は、今年も四苦八苦している。

いただいたその年は、終戦の日に見事な花を咲かせた。

おばあちゃんのように、先の心配も出てくるだろうけれど、
「綺麗ですね」と声を掛けてくれる人の中には、
この花の歴史を聞いて、育ててくれる人がいるかも知れない。

鎮魂の思いをつないできたことで、
地上の極楽浄土がきっと生まれてくると信じている。

いつか、名もないひとりひとりの祈りが、
壮大な歴史を作った和合の意識の中で、輝きを放つだろう。

熊谷 睦男 「延年の舞・老女<鎮魂20>」 油彩 100.0×80.3



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