道草日記*12月27日
「ううっ」
ようやく骨折した右手のギブスが外せた。
カッター音を聞いて、病院猫のキラちゃんが励ましに駆け付ける。
もう~、可愛すぎるぅ。
(治っていますように。キラちゃん助けて)
自由な片手を伸ばして、キラちゃんの首の後ろを撫でる。
顎の下は、どうやらそれほど好きでもなさそうだ。
私のぶざまな姿を見ていて、事務員さんが席を立って、
キラちゃんを抱っこさせに来てくれる。
(よし。この必死な思いが実って、治ってるはず)
訳の分からない理屈を付けながら、ギブスを外してもらう。
「あっ、いいかもお~」
思わずひと安心したところで、
守りの神のキラちゃんと一緒に写真を撮ってもらった。
年配の看護師さんだとこうはいかないので、ラッキーが続く。
いつもと同じセーターの先生の前に座るとビクビクしてしまうが、
今日はどこを押されても痛くないので、
つい、素晴らしい医者のように見えてしまう。
「ガンガン手を動かさないとダメだよ」
つばを飛ばす勢いで、鬼コーチのように明るく語る。
先週は「外したら次の日も見せに来て」というので確認したら、
「いいよ。そんなもん、大丈夫」の一言を、
紙のカルテに目をおとしたまま投げ捨てる。
(こいつはー)と思いながらも、
(そうか、そんなもんだから大丈夫か!)と自信を持つ。
「小さい骨の方が、時間がかかるよ」
元々は外科だった、眼科の先生にも先日言われてドキドキしていた。
「かえって大きい骨をやっちゃって、手術でつないだ方が早いんだけど」
先週は、隣に座ったおばあちゃんに右手の骨折経験を聞かされた。
手術跡が痛々しい。
「あなたは若いから早く治るわよ」
お正月を迎えるところで神棚掃除をしていて、
踏み台から転げ落ちた人の骨折話も、おふたり分聞かされた。
なぜ人はこんなにも骨折しているのだろう。
いつぞやは内科の先生からも聞かされた。
「僕は大学で、試験を迎える暑い夏だった」
「それは、、、若いから汗かくし、大変でしたね」
私は大学生から見ればおばさんだし、今は寒い冬だし、
たぶん先生なりの励ましだろうと思ったものの、
こう出かけるたびにいろんな骨折話を聞かされては、
誰もが「苦労話を語りたい」という目的の方が大きいに違いない。
「デコボコ坂道で穴につまずいて転んだ慌て者」として語る私。
全体重が手首にかかったんです、とか、
歳ですかね、骨ももろくなって、とか当たり障りなく説明している。
だけど私は私なりに納得している理由がある。
実は転んだ時に、娘のドバイ土産のアラジンの魔法のランプみたいな
キーホールダーを持っていたせいだ。
その立体的なキーホルダーは手首の小さな骨を粉砕した後、
どこかにはじけ飛んで行方不明になってしまった。
小さい頃は必ず、ご先祖様に向かって、
(買ったばかりの消しゴムを見つけてください)等々の、
失くしものの多くの祈りを聞き入れてもらった。
「神様は怖いから、バカにしてはいけないものなの」
と、聞かされて育ったからだ。
神様には感謝オンリーで畏れ多いので願い事などしない。
だけど、大きくなるにつれ、年末年始は神様のお世話をしないで、
たくさんの人が海外旅行に出かけるニュースを見るので、
次第に、もしや神様は恐れる必要はないのでは、と思うようになった。
「私の寿命を短くしてもいいですから」
それで、人生で初めて、神様に取引をもちかけてしまっていたのだ。
私はたぶん、死ぬまで痛みとは関係なく寿命を終える自信があった。
なぜと聞かれても困るが、、、
そういう自信がある私に痛みを授けたということは、
きっと寿命を短くすることは出来ないんだろうと思った。
その代わりに受けるはずのない痛みをくださったのに違いない。
ということは、これから長い間、私は何をするべきなんだろうかと、
徒然に考えてしまう結果になったこの2024年の冬。
私の中の神様の存在を意識したこの道草と言える日々。
たぶん、結構長生きしそうな気がするので、困ってしまう。
2025年はひとつずつ若返らなければ、と真剣だ。
あほらしいと思えることも真剣に考えることで、
一日は面白おかしく過ぎていくのだろう(きっと)。