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とぎれた記憶*海嘯記


あのあと、娘が戻るまでの二日間の記憶がぽっかり抜けてしまった。
「あれ確か翌日だったよね?」そう聞かれて、
少しだけたぐり寄せることが出来た記憶。
今にして思えば福島からの伝言ゲームだったのかも。
女川原発が爆発を起こしたので、絶対外出してはいけない、と
まことしやかに伝えられた。
「そうだよ。子供が飽きるから外で遊んでいたら、
消防団の人に死にたいのか!って
大声で怒鳴られて、なんのことかわからなかった。」

そういえばそうだった…。

翌日はまた津波が来るとか言われて、
みんなでただじっと笑い話を織り交ぜながら
警報が解除になるのを待っていた。
ヘリコプターの音を聞きながら
「いつ頃、車が道路を通れるようになるんだろうね~」と
問わず語りにみんなで話した。
そうやって時間をつぶした後にそんな情報が入って、
家中の窓を閉め、かたくカーテンを引いて「今日は南風だよな…」って
話したきり重苦しい空気になった。そうだ、そうそう思い出した。

ちょっと、と言って台所に戻ったすぐ後に、
波が一気に胸のあたりまでおし寄せて、
名前を呼んでもどうにもならなかった。
あっという間に天井まで届いたと思ったら、
神棚の上がポッカリと穴が開いて
そこからどうにか助かったと、おばあちゃんが話す。
でも、小さな子供を残して、若い母親は波が引いた後の台所で息絶えていた。
何を取りに戻ったのか、それともガスの元栓でも締めに戻ったのか、
今では誰もわからない。

その何日か後に仲の良い友人達との約束があったらしい。
何日か経って、その若い母親が彼女の友人のひとりの所に現れた。
友人が思わず「どこに行くの?」と尋ねたら、
「Bちゃんのところに行くの」と話していなくなったそうだ。
その後に「Aちゃんね。言いたいことがあるみたいよ。ちょっと怒ってる」
そう言ってBちゃんの夢に現れた。
確かに夢の彼女の言うことは当たっていたらしい。

そんな話が普通の会話に交じってくる。

「自転車の人減りましたね」
「道路がな~こないだまで道路じゃなかったよな。
 自衛隊の人達がんばってくれたもんな」
「瓦礫、結構片付いてすっきりして外国の人達減りましたね」
「まぁ、まだ片付けるとポロポロ指なんかが落ちてるけどな」

「目撃者いるみたいだよね~私そういうの苦手。
どこだろうね、あなたならわかるよね?」
「あそこだよ。入り口のあたり」
「そうか、結構車でそのまま・・・流されてしまっただろうからね」

「なんか潮に乗って、結構南に流れていくよね。
 こないださ~魚もらったんだけどね…」
「うんうん」
「魚はさ~北の魚がいいかもね」
「なんで?」
「その貰った魚さばいてたらさ~指が入ってたよ」
「…あ~あの魚は海の底にいるもんね」
「せっかくの魚、食べらんなかったよ…」

人生も記憶も、まだ途切れたままかも。
もうちょっと、たぶんもうちょっとね。


海難事故のご遺体というのは、日にちが経てば、
風船人間みたいになって生前の姿をとどめない。
時間が経つとDNA検査というものが登場して、
行方不明者からの手紙まで頼りにされた。確認できるものが無いのだ。
近所の人は酸素のチューブがきっかけで、
ずっと南で見つかった。海流というものがある。
ハワイに流れ着いた女の子は、その制服だ。
対岸で、爪の形からヘルパーさんが
確認してくれたというのを聞いて
(家族の誰が爪の形を覚えていてくれるのか)と
左に2つ重ねていた指輪をひとつ、右手に移し変えた。
きっと、それと知られないように、
沖で回収するような仕事をされていた方が、
語らずとも各地でいたんだろうと想像する。
いろんな方のいろんな形のご苦労を思う。
「ひと月に40件のお葬式に参列した」
「うちの家で7件、親戚のお葬式を出した」
被災せずとも、災害時はみな被災者になる。
人と比べてはいけないのだ。
支援物資をめぐって、
若者と年寄りが胸倉を掴みあって喧嘩する。
自分と立場の違いを押し付けるような、
無意味な言葉の攻撃を続ける人もいる。
一生分の喧嘩は、見たり聞いたりしたから、
もう人の争う姿はお腹いっぱいだ。
「頼むから避難所を出て行ってくれ」と
子供が親に引導を渡すような苦労もあった。
正義とはなんて厄介なものだろうと思う。

2011年にクローズドの掲示板に投稿しつづけた散文を、
もう、空にでも手放してしまいたいと思う
直したいと思う文章もそのままに。

数え切れない大勢の方に感謝と尊敬を込めて。
今日で毎日note103日目。

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野原 綾
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