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絶望によりそう余白

地方自治法によれば、県や市町村は国の下部組織ではない。

独自のそれぞれで、独立した行政を執り行っているわけだが、
この度も災害に見舞われた能登地方の現状を見るたびに、
国が過度に介入することを是としない意味はわかるが、
緊急措置で国が主導権を握れないものかと思う。

すべてを迅速に解決することは難しいのは承知だが、
これまでもこれからも、復旧速度が遅すぎるように思えてならないからだ。

日本国憲法の第3章国民の権利及び義務の中には、第13条に
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の
上で、最大の尊重を必要とする」とある。

有名な第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む
権利を有する」とあり、次に「国は、すべての生活部面について、
社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と続く。


この年明けからの石川県知事は、
被害地域の視察や緊急対応に尽力されていらっしゃることと思われる。

だけれども、どう考えても、一月の地震の復旧の遅滞に関しては、
県政の怠慢がどこかにあるのでは、と思えて仕方ない。

知事は現場というものを、本当にご覧になっているのだろうかと思う。

この喫緊の時期に、「知事としての立場」で、
無償ボランティア募集の発信をしても良いものだろうか。

住民自治の部分では、無償ボランティアの存在は、
内外ともに欠かせない存在ではあるが、一緒くたにせず、
両輪で動いていかなければいけないと思う。

適材適所という言葉があるように、「知事としての立場」で、
個人の無償ボランティアのおおっぴらな募集をするには、
もう少し適切な時期があるのではないだろうか。

県としてボランティアを募集するなら、場所によっては企業体に向けて、
有償の出来高払いで、仕事に近い形が双方望ましいのではと思う。

急ぐのは、田んぼに散らばった小さな瓦礫を、
人の手で拾うような仕事ではないのだ。

まず、通さなければいけない道路が多すぎる。

震災瓦礫の残も多すぎる。

県民の公衆衛生や安全に対して、どのようなお考えなのだろうか。


かつて、東京オリンピックが決まった時の虚しさを思い出した。

しかし、それは私の中の余白があり過ぎたせいなのだと思う。

ぽっかりとあいた穴が生活の中で埋められず、
平時ならば、いくらでも見つかる現実逃避の方法が分からなかった。

余白の中に詰め込むものは、立ち上がるために充分悲しむことと、
目の前に差し出される仕事だけをひとつひとつやりとげること、
それから、力を抜いた身体をしっかりと横たえること。

歯を食いしばる癖がようやく抜けてきたと思っていたのに、
祈ることしか出来ない自分自身の存在を、本当にちっぽけだと思う。

だけど、それでも一日でも早い復旧を祈ります。





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