なぜ学ぶのか?
2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の序盤で出た誰かのセリフのようです。
吉田松陰の妹、久坂玄瑞の奥さんが主人公でしたね。
「なぜ勉強する必要があるの?」という問いは、特に子どもからはありがちな問いと思います。
その答えは1つではないと思います。
答えを導くプロセス、視点も多彩と思います。
僕は本当の勉強は、成人になり、社会人になってからが本戦のスタートだと思っています。
先日「最終教育機関は職場」という考えを講演で聴いたのですが、その通りだと思っています。
リスキリング(学び直し)という言葉をよく聞く最近ですが、学ぶことは継続的に行うべきものであって「レッツ、学び直し!」「勉強をまた始めてみよう!」ってニュアンスが感じられるリスキリングには、ちょっぴり違和感があったりもします。
「己が何をすべきか」
「自分の人生の役割」
それを知っている人、認識できている人は迷わない人だと思います。
いや、迷うのは迷うけど、大局的な方向は見逃さない、でしょうか。
自分の理念、人生のビジョンが描けている人は、強くて、しなやかで、しぶといです。
スポーツ選手でも、俳優さんでも、議員さんでも、もっと身近にいる働く人たちでも。
自分の理念、人生のビジョンを描くために必要なのが学び、勉強だと思います。
自分の住んでいる世界にはどんな問題や「困った」があるのか、自分にどんな強みや人と違う特性があるのかは、情報がないとわかりません。
つまり学ぶことが必要です。
学ぶ方法は、極論ですが何でもアリだと思います。
新聞でもテレビでも本でもマンガでもOK。
もちろん直接五感で体験するのが最高です。
あるいは何もしない時間からも、学ぶ何かはあると思います。
「何もしなかった時間」を体験した人は、それを体験したことのない人にはない何かを得られます。
学び方は様々ですが、その手段や媒体を1つ2つに絞るのは良くないと思います。
多彩なチャンネルから、多視点の、異なる価値観で論じられたものを客観的に知り、自分のフィルターにかけて取捨選択する必要があると思います。
「花燃ゆ」で描かれたのは江戸時代末期から明治時代にかけて。
その時代に活躍し歴史を動かした方たちは、色々なバイアスのかかった情報をそれと知った上で多方面から調達し、自分たちがなすべきことを定め、心に刻んだ方たちだと思います。
「激動の時代」と言われることの多い最近ですが、それは過去のどの時代でも該当する表現だと思います。
大きな変化のない時代なんて無いのかもしれません。
そういう時間軸を生きている私達は、多方面の学びを深める努力をして、自分の立ち位置を客観視し、自分の行く先を思い描いて行動する必要があると思うのですよ。