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上海の街ラン
駐在1年を過ぎて上海での趣味がようやく確立できた。趣味をわざわざ作ろうとするのは不純であると若い頃から潔癖症を患ってきた。格好付けるとか、モテるためとか、付き合いのためとか目的性があるものは問題ない。でも趣味性という己の感覚を全て委ねる主観や独りよがりには雑味が混じってはならないという謎の信念を持ってきた。だから趣味は作るものではなく、自然と立ち上がるものだと考えていた。
スマホの高徳地図(中国エリアでのGoogle mapのようなもの)でまずは自分の居住地を眺める。円弧を描くように1周でおおよそ10kmを目安にルートを作成する。それをスマートウォッチに同期させ、身支度をしてランニングを開始する。おおよそ1時間の小旅行。これがやっとできたここでの趣味である。
この遊びの面白いところは上海の大都市を自分の足を使って空気感を感じ取れること。スケール感ある道路をルート上でなぞりながら、ユニークな構造物であるビルや住宅地(小区)を眺めたりしてランニングという単純な身体動作を繰り返す。誰かに推奨されたわけではない。10kmランニングの習慣、スマートウォッチの入手、上海市内の住環境、それら条件が自ら組み合わさって産み落とされた。これは全くの無目的でただやりたいからやっている。
大人になってからの趣味はその土地でしかできない遊びがコンセプトであった。というより、住環境と親和性がないとそれが日常にならず、肩肘張った遊びは遊びとして不適切。だから私は転勤の度に住む場所が変わり、仲間が変わり、歳を重ねながら遊びを変化させてきた。音楽制作をして、サッカーチームに参加して、MTBダウンヒルをして、ウェイクボードをして、ゴルフをして、キャンプをして、雪山登山をして、サウナをして、そして今、上海で”街ラン”をしている。どれも楽しかったけれどその時の日常に溶け込ませることを意識していた。
上海の街ランはとてもしっくりきている。今の自分に全く無理がない遊び。自己弁護になるが、生きる上で必要なのは一人遊びの才能だと信じている。一人遊びとは自分の機嫌を取る営みであり、そこに他者を介在させることは好ましくない。他者との折り合いは生きる上で不可避であるが、他者を排除する時間としての一人遊びも同時に不可欠である。それが大人とか、成熟とか、粋とか、と言われるものだ。同時にそれを自ら口外しないこと。そしてnoteに投稿している時点で私はその定義から逸脱している。
昭和の粋な大人が着物を着て秋田犬を散歩させたり、盆栽を嗜むイメージで私は今、上海を街ランしている。