十三夜。 231027
10/27(金)は十三夜。
今年の十三夜(旧暦9/13)は、、
10月27日なのです。
今日。
なぜ十三夜を祝うようになったのかを調べていると、日本ならではの説がありました。
「完全なものよりも少し足りないほうが美しい」とされる、
「不足の美」
「未完成の美」
という日本人独特の美的価値観によって、
「満月よりも少し欠けている十三夜の月のほうが美しいとされた」
という説。
なるほど日本らしく美しい。
最近はやれ「ブルームーン」やら、なんとかムーンなどと満月をカタカナ(英語)で言ってましたが、本日の十三夜は日本らしく家の中で美を感じながら眺めたいと思います。
「十三夜に曇りなし」と言うはずなのに、きびしそう。
さて、「十三夜」といえば思い出すのは井上陽水の「神無月にかこまれて」という曲です。
兄がレコードを買ってきて初めて知った井上陽水。この曲で初めて十三夜という言葉を知り、わけわからずも聴いてました。
出だしのギターがなんともカッコよく、練習した覚えがあります。
下手くそでしたから弾けませんでした。
「神無月にかこまれて」
作詞作曲:井上陽水
人恋しと泣けば 十三夜
月はおぼろ 淡い色具合
雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ
丸い月には 流れる雲が
ちぎれた雲が よくにあう
歌詞にはすぐ十三夜が出てきます。10月の夜空をさみしく眺め空模様を歌っています。
風がさわぐ 今や冬隣り
逃げる様に 渡り鳥がゆく
列についてゆけないものに
また来る春があるかどうかは
誰も知らない
ただひたすらの風まかせ
2番の歌詞になると渡り鳥が入り冬隣りの冷たい歌詞になっていますが、「列についてゆけないものに〜」を聴きながら、自分自身と比べていました。
神無月に 僕はかこまれて
口笛吹く それはこだまする
青い夜の空気の中に 生きてるものは
涙も見せず 笑いも忘れ
息をひそめて 冬を待つ
3番では、1.2番で歌った風景をより冷たく歌い、神無月に囲まれている僕を歌っていますが、この僕というのは、誰しもの僕になるんです。
私は詩を書く人でもないのですが、井上陽水の歌から感じたのは、、画面いっぱいの冬隣り風景から一気にひとりの僕へズームアップさせるような映像を感じました。
しかも、この歌詞をしんみり歌うのではなくアップテンポで歌ってるところに、閉ざされた心の激しさが見えてくるようでした。
あらためて聴くとすごい。
こうして陽水の曲を聴き他も探してると、珍しいもの見つけました。
下のYouTubeは発売後一ヶ月で発売中止になったLPに入っていた「神無月にかこまれて」らしいです。知りませんでした。
このときの歌詞には十三夜がないのです。詞が変化していたのです。
若い井上陽水がギターをかき鳴らす姿が浮かびます。
井上陽水は一見つまらない日常と世界の異常を比べる歌詞がよくありますし、船や風や月が多く登場します。
どうしょうもない大きな力や世間を考えつつも、大切なことは僕という自分自身の悩みなのです。
一番大切なのは僕。
それでいいと思います。
好きなんです。こんな陽水の考えや未完の美である十三夜。
追記
18:20 おかづと十三夜