A CITYSCAPE vol.1-スナップへの想い
私はスナップに興味がありませんでした。スナップを始める前までの私は花を撮りに遠くまで出向いたり、紅葉を撮ったりと季節を追いかけていました。四季を感じることこそ写真の真髄ではないかと思っていました。しかし今ではそうしたことはせず身近なところで写真を撮るというスタイルに変わったのです。
スナップ写真との出会いは私の写真生活を大きく変えました。それまで特段有名な撮影場所でもないところで写真を撮ろうものなら周りから怪訝そうな目で見られるのは必至ですし、何より人が入るのが嫌だったのです。他者からの目線、写り込み。それら“人”という要素を可能な限り含めたくありませんでした。
気持ちが変わったのはある動画との出会いでした。夕焼けに染まる街中を自転車で移動しては写真を撮るという動画でした。その動画を見た私は「街中でこんな写真が撮れるのか」と衝撃を受けたのを記憶しています。何よりも、それまでの私は写真から人は排除すべきものと捉えていました。綺麗な風景に人間が写り込んでは興ざめだと思っていたのです。しかしその動画の中では街中に溢れる人をうまく利用し撮っていたのです。私の中での、言うなればパラダイムシフトでした。
それ以来私はスナップに打ち込むようになりました。写真を撮りに出掛けるなら、それまでは見頃の花を撮影をするために遠出していたときとは打って変わって電車の定期券の圏内で撮影をするようになったのです。
こうして撮るようになったスナップ写真ですが、思い描いたような写真は撮れませんでした。一朝一夕でできるようなものではなかったのです。自分が思ったように人は歩いてくれませんし何よりも平凡な、ありきたりで面白みのない写真を連発しただけでした。
そうしたときにある方が、何気なく撮った写真も数十年後には味わい深い写真になる、数十年後の誰かのために写真を撮ろうという投稿を目にしました。なるほどなと思いました。現在再開発されているうめきた(大阪府北区)に元々あった梅田貨物駅が無くなったことに寂しさを覚えていたため、これはとても共感できるものでした。写真を撮るという行為を自分の理想を絵にしたパズルにしたとき、それはまさに重要なピースでした。
そういった様々な人の写真に対する姿勢に触れていくことで、私の中でスナップに対してパズルはどんどんと埋まっていく感触がありました。ある種の思想が生まれてきたのです。街を歩く人とその横にある建物、同じ時間は二度と訪れないためその時間を残す写真を撮りたいと思うようになったのです。ほとんど受け売りのようになってしまいましたが、そうした考えを持つようになってから自分が“いい”と思える写真が次第に増えていきました。
人との出会いが一期一会であるのと同様に、ある瞬間との出会いもまた一期一会でしょう。上記したように二度と訪れないその瞬間こそが全てです。これからどんな写真が撮れるでしょうか。場所との出会いや時間との出会いが尽きることはないでしょう。楽しみで仕方ありません。