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そう、ガパオライス

生まれてからずっと、生きていると感じることなく、生きている。

呼吸をして社会の規律を守り、教育を受けて労働をし国民としての義務を果たす。
たまには人に優しくされたり、誰かを傷つけたり、柄にもなく喜んだり悔しがったりもする。

でも、生きていることを実感していない。
この感覚はあれだ、今年が2024年だということを信じられず2019年のような気がしたり、意識はまだ17歳なのに実年齢は27歳になっていたり、という感覚に似ている。
もう何十年も生きているはずなのに、まだ生きている感覚が掴めない。

形ある幸せを手に入れるために結婚したし、
結婚するために安定した仕事に就いたし、
いい会社に入るために大学受験をしたし、
受験のために夜遅くまで机にかじりついたのに、
なんのために生きているのかはわからない。
いつも一つ先の段階を目指して進んできたけれど、全体の始まりも終わりもよく掴めない。

まぁ別に生きていくのに目的はいらないと思うけれど、目的もなく何十年もやり続けるなんて、結構すごいことだと思う。

なにかをするために生きる、という明確な目的がある人の方が、生きていることを実感できるような気がする。そういう人に、誰もが憧れているような気がする。
みんな、生きている実感が欲しいんだと思う。
生きた心地がしなかった、という言い回しがあるけれど、むしろそういうときほど、生きていることを体感しているはずだ。
勝手な憶測だけどね。

でも、私のような人は、とりあえずガパオライスを食べればいい。こんな悩みは一気に吹き飛ぶ。

偶然入ったタイ料理屋さんで、ガパオライスを食べたとき、舌に唐辛子の痛みを感じながら、

生きてる!

と思った。表彰された時よりも、試合に勝った時よりも、仕事で成果を出した時よりも、生きていると思った。
びっくりマークだけでは表現しきれないくらい、生きていると思った。

大きな苦しみに悶えている時には、自分が生きているかどうかなど考えもしないし、幸せで心が満たされている時は、なんのために生きているかなど頭をかすりもしない。

でも、人生のうちの大部分は「なんでもない」日々でできていて、大きな喜びも苦しみなんてものは、2割か3割あれば珍しい方だと思う。
私は、そういう「なんでもない」ときに、生きることへの迷いや他人の生き方への羨ましさを感じることが多い。

そんなときは、ガパオライスを食べる。 

以前は、好んでジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったり、バンジージャンプをする人の気持ちがわからなかった。どうしてそんな苦しそうな刺激を求めるのか。

でも、ガパオライスの刺激に出会ってからは、「刺激的なもの」の偉大さをよく理解できるようになった。

大量の汗と鼻水で、まるで運動したかのような達成感があるし、空気に触れると舌がヒリヒリするので、誰かと競うように一口一口をかきこむことになる。その感覚はまるでスポーツ。
刺激のおかげで、生きている感覚を味わえる。
もしかしたら、これはアルコールやギャンブルにも通ずるものがあるのかもしれない。

なにか、良くないだろうというものに深入りしそうなときは、ガパオライスを強くお勧めする。
短期的で、健康にもそれほど悪くなく、安価で、なによりおいしい。

ふと、「なんでもない」日に、自分は生きている感覚なしに生きているんじゃないか、と気づき、その事実に落ち込んだり、生きるための目的がないことに怖くなったら、私はガパオライスを食べることにしている。

今日の夜も食べようと思う。
私にはガパオライスが必要だし、人生には刺激が必要だから。



ガパオライスはタイ料理の一つで、ナンプラーやオイスターソースで鶏肉や豚肉、バジル、パプリカなどを炒め、ご飯に乗せたスパイシーな料理。唐辛子を使用するため、舌がヒリヒリとする辛さがある。
胃腸が弱い人はね、無理しないでくださいね。



もつなべ

夏がもうあと2日くらいで終わりそうですね。もう秋なんですかね。みなさま季節の変わり目、体調にお気をつけてお過ごしください。

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