変われないまま
シャワーから水しか出なくなった。家族がお風呂に入ってわたしが最後に入ったら、終盤で水しか出なくなった。
その程度のことで悲しさに支配されてしまうんだから、やはり土台が脆すぎるのだと思う。結局水でからだと顔をあらって出たが、入浴後とは思えない手のつめたさに心まで冷やされてしまった。
その後なぜかヘアオイルを顔に塗ってしまい、さらに落胆した。そしてもう1度顔をあらった。
もっと頑張らないといけない、もっとひとに優しくしたいと思っている。ずっと、生きていることに罪悪感がある。
しかし、シャワーから水が出るほど悪いことはしていないはずだ。いや、関係ない。調子が悪いと、すべての出来事に因果関係を求めてしまってよくない。
この後30分くらい髪も乾かさずにぼーっとしてしまい、冷え切ったからだで大学の課題と就活の勉強をした。1時になるころ、眠気と戦っていたら希死念慮が出てきた。
お酒を飲んだり極限まで眠くなったり、理性が働きづらい状況になると希死念慮が顔を出す。髪留めを雑に落として、適当に歯を磨いた。
洗濯物を干すんだったら死にたいな、ととてもまっすぐに思ってしまったのでとりあえず濡れた洗濯物を取り出して、第2便を回した。濡れた洗濯物もそのままに、なにも分からないまま少し腕を切った。
どうでもいいことだが、半袖で隠れる場所しか切らないと決めている。これは微妙に出てしまうかも、でも次の夏なんて来ないほうがいいしな、と思いながら切ったら意外と深く切れて満たされた。
年明けに切れるだけ切ったのでもうスペースが残っていなかったからか、すごく焦っていた。走ってもいないのに息が乱れていて、必死に息をして布団にもぐった。
最近は鬱になったらまず終活クラブの「せいのく」を聴いている。そして東京パピーズの「バースデイ」、このときはBUMPの「strawberry」を聴いた。
せいのくは死んでいない自分を責めるでも認めるでもなく、「死ねなかったね」とただ話してくれるような安心感がある。「無期懲役ぴったりの犯罪で全部を棒に振りたい 妄想の中殺した誰かをいつかはそうしてやりたい 意味わかんない宗教を心から信じてくたばりたい 君に会いたい」という歌詞がとてもすきだ。
布団に入る前、Wordで課題をつくりながらもう1つファイルを開いて感情を垂れ流していた。
死にたいけど弾き語りには行きたい。しかもデイジーバーで大樹さんと、という注文までついている。
「いつかは全部終わる 大丈夫だよ全部終わる 痛いのも 辛いのも 幸せも 永遠も」という歌詞にもたびたび救われている。終わることだけが希望に思えるときがある。
バースデイは、主観的な希死念慮だけでなく、生きることを望まれていないと思うときに聴くことが多い。もっぱらその「望まれていない」も主観だが。
この歌だけが、生きていていいよと言ってくれる。ずっとそう。
strawberryは昨日はじめてフルで聴いて、絶えず泣いてしまった。ほんとうに自分に言ってくれているように感じられて、温かい場所で抱きしめられて愛されていると錯覚できた。
「受け止めさせて ひとりにしないで」という言い回しにおどろいた。「ひとりにしないよ」ではなく「ひとりにしないで」なんだ。
「あなたの涙を受け止めないと、ぼくがひとりになってしまうよ、そんなのって寂しいよ、君のことを教えてよ」ってことだよね。確かに大事なひとにひとりで泣いてほしくないけれど、こんな温かいことばに換えられるのは藤くんだからだと思う。
長くなってきたのでstrawberrryの話は切り上げる。どこの歌詞がすきだなんて選べないくらい全部すきなので、ぜひ聴いてほしい。
ああ、こうやって他人との接触を求めてしまうことが気色悪い。死にたいのにひとりで居るべきなのに、なんか図々しい。
大泣きして気づいたら寝ていて、目が覚めたことに絶望して何度も目を瞑りなおした。なにも考えず寝続けた。
大声で呼ばれてしかたなく起きたら、洗濯物を干さずに寝たことを責められ、やることを早口で羅列され、朝からまた涙を溜めてしまった。情けない。
生活がめちゃくちゃでも学校や仕事に行けなくても人とうまくやれなくても、みんな生きていてくれたらいいと思う。でもそれを自分には適用できない。
「なにかをやれないと存在価値がない」は幼いころから何周もわたしに巻きついて呪いになっている。ともだちが駅でわかれるときにいつも「頑張らなくていいよ、生きてて」と言ってくれたり、音楽家や作家にうつくしいものを見せてもらったり。そういうもので呪いの端がめくれることがあるのに、どうしてもまたぴったりと閉じ込められてしまう。
明日は仲のよい先輩に勉強を教わってからカフェに行く予定があったが、あまりに生活と精神がままならなくて延期してもらってしまった。やるべきことも楽しいことも、なにもしたくない。行くべき場所にも行きたい場所にも、どこにも行きたくない。だれにも会いたくないわけではないけれど、だれにも見せられる自分じゃない。
終わりかたも、分からない。この文章も、この身も。