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世の中に対して、思うこと、思うところはあるけれど
自由に考えて、発言ができる。まずはこれが幸せで。たくさんの情報から選択し、何が正しいかを判断するのは、自分自身。その技能を身に着けるための「教育」が大事。私の先生は、いつも本だった。
今はほとんど読んでいない。
理由は明白。集中力がないからだ。
小中学生のころは、続きが気になって、気づいたら何時間も読みふけっていた。本だけでなく、身の回りのあらゆる言葉を読み、思索をめぐらせた。
今はできない。なぜか。
気づいたらスマートフォンを触っているのである。
てんで長い時間の集中ができなくなってしまった。
しかたがないので、記憶をたどり
当時の教科書を頭の中で読みふける。
読みふけるといっても、うろ覚え。
正確には引き出せない。
だけども、茨木のり子という人の詩を
どうしても正確に読みたくなった。
ネットで探し回るもいい本が見つからず
結局図書館で借りた。
小気味のいい音とリズムで構成された、短い文章。それでいて、今の時代を、すでに見透かしているかのような風合いである。
彼女の言葉を借りるなら
「もはや。できあいの思想に倚りかかりたくはない」
「倚りかかるとしたら、それは、椅子の背もたれだけ。」
ゆぃ。